百錬ノ鐵

百合魔王オッシー(@herfinalchapter)の公式ブログです。

『けいおん!』に「政治的正しさ」を押しつける“意識のお高い”馬鹿ども

https://twitter.com/yokoching/status/607380686136344577
艦これ、けいおんラブライブアイマス、これら全部、日本でしか許されていない性的変質者の愛玩文化ってことを理解しておいた方がいい。クールジャパンとかかわいいは正義とか、何を言っても未成年女性の性的消費でアウトだから。海外にもファンはいるってのは、海外にもヘンタイはいるってだけの話

「艦娘」と称する美少女キャラが被弾するたびに衣装が破れていくというギミックが売りの『艦隊これくしょん』はわかるとして、そも“性的”な描写自体が存在しない『けいおん!』『ラブライブ!』『THE IDOLM@STER』に対する《性的消費》など、端から成立しようもない。

成立しうるとすれば、それはそれらのユーザーが作る同人誌などにおける二次創作であろう。だが二次創作同人誌なるものは存在自体が法的にも道義的にもグレーな“海賊版”の類であり、その《性的消費》を批判したところで一次創作の責任を問うことはできない。

このようなクソもミソも一緒にした雑な“告発”をされてしまうと、いざ本物の《性差別表現》を告発したとしても「またかよ」と思われて誰からも相手にしてもらえなくなるだろう。《未成年女性の性的消費》という現実の社会問題を追及していく上では、明らかに悪手と言わざるをえない。

上掲の「暴言」については、さすがに厳しい反応もあったようで、この後@yokochingの言説は、ふらふらと右往左往しながら変節していくことになる。

https://twitter.com/yokoching/status/607480221302956032
好き嫌いの問題じゃなく、幼児、女児、労働を扱うアニメはより慎重に扱われるべきだということ。中でも、けいおんは、マッチョ男性が出なく、性的な表現は全く抑えられているし、日常物語としては優れている。二次創作は別にすると、作品自体には問題がないので、訂正する。

上掲4作品の内の『けいおん!』について、いったんは《二次創作は別にすると、作品自体には問題がない》としながらも(@yokoching自身もこの時点で大人しく引き下がっておけばそれこそ「問題」はなかった)、その評価は直後に覆される。

https://twitter.com/yokoching/status/607482198560751616
けいおんのような、性的な描写を比較的抑えた、(けど登場人物が胸揉まれるシーンあったような)、男性が出て来なく、みんなが楽しめるアニメってのは、男根アニメ批判を乗り越えたものだと思う。けど検索するとけいおんのエロがわんさか出てくる状況で、けいおんは社会的に無垢でいられるのか?

https://twitter.com/yokoching/status/607486587170078720
社会的に無垢=児童保護を考えた上で社会的了解を得られるか?二次創作があるなら、表現できなくなるというわけではないと思います。性的な二次創作は何にでもありますが、児童が対象になってしまう場合、作品自体に罪はないものの、その消費を前提とした市場や文化を知って投下するのはフェアなのか?

つまり作品自体に“性的”な要素はなくとも、《性的消費》に利用されうる事態への、言わば《可能性を生み出しただけでアウト》というわけだ。

参考:
山本弘のSF秘密基地BLOG」内
『「可能性を生み出しただけでアウト」に異議を唱える』
http://hirorin.otaden.jp/e127373.html

しかし元より差別性のない作品を「性差別」に利用するのであれば、それは利用する者の問題にすぎない。あるいはそのような性的関心を喚起したことにより批判に値するというなら、それこそ性暴力の被害者に対しておまえに隙があるからだと責め立てるのと同じで《差別の原因を被差別者に求めるレトリック》に他ならない。

……と、ここでさらに輪をかけて頭の悪い(くせに自分は頭が良いと錯覚している)馬鹿@Yasu9412が“助け舟”に入る。

https://twitter.com/Yasu9412/status/607486560364142592
.@yokoching 僕もよこちんさんがあげたようなアニメが日本のカルチャーとして隆盛をほこっていることに問題を感じます。ただ個人的にはパンチラ、胸をもむといった性的表現が問題というよりは著しく偏った性役割ジェンダー・女性描写という側面について問題視されるべきかなと思います。

https://twitter.com/Yasu9412/status/607488075237687296
.@yokoching しかし性的変質者の愛玩文化という解釈は間違いかなと思います。その種のカルチャーは日本の異性愛男性全体が共有するような無垢な女性へのファンタジーを記号化したものだと思うので。けいおんは男根批判への乗り越えどころか無垢な処女的ユートピアを強固にした世界観では。

以降、@yokochingの言説は@Yasu9412が言うところの《著しく偏った性役割ジェンダー・女性描写という側面》および《無垢な処女的ユートピアを強固にした世界観》という論旨にシフトし、またその批判の矛先も『けいおん!』に一括される。

https://twitter.com/yokoching/status/607490580453670914
@Yasu9412 アニメの批評世界では、それが乗り越えになるんじゃないかなーと思って。処女性の記号化なんて性的変質者の愛玩文化じゃないかって思うんだけど違うのかな?

https://twitter.com/yokoching/status/607493902745116672
児童が出てきて、ジェンダーバランスを欠いているアニメって、成人男性の自分でさえも目に入ると、offensiveに感じるんだよね。性的表現もそうだし、アニメやアイドルの構造的なジェンダー的役割の不均等さ、処女性の称揚、それらへのフェティシズムの発露は、自分ですら客体化の恐怖を感じる

https://twitter.com/Yasu9412/status/607498109837410304
.@yokoching 例えば今、京都では神社仏閣のポスターから商店街のイメージキャラクターから地下鉄のポスターまで、萌えアニメ的なキャラにあふれてますし、少女イメージの消費のされ方にここまで鈍感になっているのはもう国レベルの問題かなぁと大げさに考えています。

https://twitter.com/Yasu9412/status/607498352087818240
ほっといたらオリンピックの開会式でAKB48と3Dホログラムの初音ミクがステージパフォーマンスしそうな国なので。

https://twitter.com/yokoching/status/607499888511840258
性的な描写を抑えて、徹底的に女の子しか出て来ない、青春バンド物語の「けいおん」も処女性を志向したユートピアという意味で、ラブライブもアイドルという構造的ジェンダーバランスを欠いた物語という意味で、セクシュアルな意味での児童性的変質者というより、ジェンダー社会性的と言った方が的確か

https://twitter.com/yokoching/status/607501939388116992
@Yasu9412 確かにそうだなー。ありがとう。納得です。児童のパンチラ、胸揉みは、一発アウトやと思うんやけど…。性役割ジェンダー、社会構造、表象の問題って、誰も傷つけてないからいいやんけ!アニメの登場人物もがんばってるからいいやんけ!って段階やろな今は。

https://twitter.com/yokoching/status/607518888524455937
@BlackSun_11 二次創作や性的消費者はダメだけど、その内容自体は問題ない、ということですね。作品の作り方として、性的なものを徹底的にとりはらい、性を排除する処女性という意味で、けいおんはある種、性的な作品と思えるのですが、どうでしょう?

しかし、そも《処女》という表象が《日本の異性愛男性全体が共有するような無垢な女性へのファンタジーの産物であるなら、すなわちそれはやはり〈男性〉の問題であって〈女性〉および《女性表現》の問題ではないということになる。

そこへきて『けいおん!』が《性的な物を徹底的にとりはらい、性を排除》しているという事実をもって、その《処女性》なるものを“志向”しているなどと決めつけるのは、換言すれば《性的な物を徹底的にとりはらい、性を排除》するというセクシュアリティを《処女性=日本の異性愛男性全体が共有するような無垢な女性へのファンタジー》と同一視する行為だ。

しかしそれはいずれにしても〈女性〉の「性」のありようを〈男性〉の視点に基づく勝手な“枠組み”に当てはめていることに変わりない。

けいおん!』が《性的な物を徹底的にとりはらい、性を排除》しているのは、ひとえに「性的な物」が『けいおん!』という作品の「世界観」を表現する上で不要であるからだ。むしろ“性的”であるか否かという外在的な(つまり作品の「世界観」とは何の関係もない)基準で作品の本質を規定しようとする試みする行為こそ《性的消費》以外の何物でもない。

まして@yokochingの理屈に倣うのであれば、仮に『けいおん!』の表現に何らかの“性的”な要素が含有されていたとしても、それが“性的”であるという理由で、やはり『艦これ』などと同様に《性的消費》を煽動しているとして断罪されるのだ。

まったく正反対の理路を取りながら同じ帰結に陥るということは、初めに断罪ありきの“魔女裁判”でしかない。

あるいは“性的”な要素を“排除”する行為もまた“性的”な行為の内と解釈されるのであれば――政治性を“排除”する行為がそれ自体《政治的行為》であるように――あらゆる「表現」は“性的”であり、よって「表現」を“消費”する行為はイコール《性的消費》であるという帰結が導き出される。

しかしそうとなればけいおん!』に対する《性的消費》を「性差別」として異化し、“告発”することも不可能となる。

すなわち、じつのところ@yokochingらは、政治的に正しい《性的消費》と政治的に間違った《性的消費》の判断を言外に下していることになる。しかしその線引きは@yokochingらが自分たちの政治的イデオロギーに都合良く勝手に決めるのだ。

ジェンダー論やらフェミニズムやらクィア理論やらのジャーゴンをぎこちなくパッチワークしながら(実際ジェンダー社会性的」など意味不明な記述が散見する)、つまるところは自分に気に食わないマンガをもっともらしく扱き下ろす暗い快感に酔っているだけである。

https://twitter.com/yokoching/status/607533140337393664
けいおんは青春系音楽成長アニメで性的なものはない、とかいちいち言ってくるけど、あいつらの一人でも彼氏できたりしたらお前らブチギレするんやろうが!「性的なものを取り払った処女という性」に支えられた成長見守り系アニメやから「おもしろい」んやろ?

https://twitter.com/yokoching/status/607534097641140224
性的なものを抑圧して表象することが性的でありうることもあるんだよ!性的な目でみてないっていうことから、そこまで簡単に自由になれないから気をつけないといけないんだよ!

https://twitter.com/yokoching/status/607535943004901376
セクシャルな不平等な愛玩文化はもちろんのこと、ジェンダー的にアンバランスな愛玩文化も、もちろん批判にさらされるべきなんだよ。

https://twitter.com/yokoching/status/607536962510180352
性的な表現が即アウトなんじゃなくて、性的なものを取り払ったユートピア的なものも含めた、性的な表現が、アンバランスな一方的な性的表象で、ジェンダー的な権力関係を再生産する時、offensiveで抑圧になるんだよ。

https://twitter.com/yokoching/status/607540647810244609
アニメにしろ、文学にせよなににせよ、児童を扱ったり、児童を性的に扱うのが悪いわけではない。問題なのは、彼等、特に未成年を、一方的な見方からの性的な表象によって、それらを愛するというのが間違っていると言っている。

フィクションは元より「ノンフィクション」であっても一つの創作物がこの世界のすべてを包括することは不可能であり、あくまで作者の視点を切り取った断片にすぎないという単純な事実は、もはや今日のあらゆるジャンルの作品評論におけるコンセンサスと言っていい。

また多様な「性」のありようが社会に存在しうるという、これまた単純な事実を是認した上で、なおかつ多くの人が《普通》とされる性様式を選択したとしても、それによって意識のお高いフェミニストもどき――“もどき”というところに注意。ここまで最低に馬鹿なことを真顔でほざく馬鹿は実際のフェミニストには存在しない――に“断罪”される筋合いは誰にもない。人は自らの人生を生きるのであり、ジェンダーのバランスを保つために生きるのではないからだ。

ゆえに『けいおん!』の「世界観」が、たとえ@yokochingの目から見てジェンダー的にアンバランス》に見えたとしても、しょせん@yokoching自身の理想と考えるジェンダー・バランスを物言わぬ『けいおん!』に押しつけている点で、それもまた政治的イデオロギーという「権力関係」に依拠した“抑圧”でしかないということだ。

じつのところ『けいおん!』は@yokochingらが考えるように「性」を“排除”しているのではなく、むしろ「性」から“解放”されたアセクシュアリティを表現する作品と解釈できる(近年の作品では、同じ「まんがタイムきらら」系列の『きんいろモザイク』『ご注文はうさぎですか?』『はるみねーしょん』などの「萌え系4コマ」にも同様の“志向”が見出せる)。

もっとも、それが個々のユーザーの“志向”と合致するかは別問題だ。オタクに無理解な人々は、あたかもオタクが統一された思想をもつ集団であるかのように捉えがちで、もちろん一定の傾向は見出せるにせよ、そこには一般社会と同様に《多様性》の世界が広がっている。そうした《多様性》に基づいて「差別」が機能する構造も、一般社会のそれがそのまま延長されている。

かくして作品の“志向”するアセクシュアリティを共有できないユーザーが“性的”な要素を外在的に持ち込むことで『けいおん!』は一次創作(原作)から二次創作(同人誌)へと枝分かれするに至るわけだ。

しかるに《あいつらの一人でも彼氏できたりしたらお前らブチギレするんやろうが!》などと仮定を前提に議論を構築したところで、げんに実体たる一次創作がそうなっていない以上、むしろその@yokochingの物言いこそ作品本来の“志向”から逸脱した卑俗な二次創作の類と判断できる。

それを《あいつらの一人でも彼氏できたりしたらお前らブチギレするんやろうが!》などと、あたかもすべての人間が恋愛をしなければならないかのような固定観念に捉われ、あまつさえその対象が〈異性(男性)〉でなければならないと思い込んでいる時点で、この馬鹿は見事なまでに「恋愛至上主義」と「異性愛至上主義」のダブルコンボを披露している。さらに《女性は男性を愛するべきである》という「ジェンダー」の押しつけを加えればトリプルコンボであるが。

なお一方の馬鹿@Yasu9412は、「小児性愛者」を称する大人たちが実在の児童を性欲の捌け口にする行為についてはクィア理論を盾に正当化・特権化する一方で、どういうわけだかマンガに描かれる非実在の児童が自分の思いどおりのセクシュアリティを“志向”しないことについては、上掲した教条主義的な「政治的正しさ」を振りかざして糾弾する。普通は逆だろうと思うが、《普通》を忌避した結果《普通》でないクィア主義者のセクシストになったというだけのことである。

@Yasu9412自身が作成したまとめ:
小児性愛ペドフィリア)の語られ方』
http://togetter.com/li/636590

その@Yasu9412だが、このようなことをのたまっている。

https://twitter.com/Yasu9412/status/607491550789038081
ちなみに個人的に面白いなぁと思ったのは、(詳しくないけど)日本のBLはリベラルなLGBTライツの話とは断絶したサブカルという感じだけど、ヨーロッパではプライドパレードに漫画関係の会社が協賛して、おもしろい横断幕出したりしてたこと。

https://twitter.com/Yasu9412/status/607493536737427456
あ、でも東京のプライドパレードにもコスプレイヤーが結構参加したりしてるよなぁ。俺のLGBTに関するツイートをRTする人の中には結構、当事者じゃないBL好きの人たちもいる気がするし。BL好きの人たちがごっそりLGBTライツに関心をもってくれへんかなぁ

そもマンガ表現がデフォルメ(誇張)を基本とする以上、ステレオタイプの問題については当然ながら『けいおん!』にかぎらず、BLなどの女性向けとされるコンテンツにも当てはまる。げんに《現実のゲイのありようと異なる》《ゲイに対する偏見を助長する》といった物言いは、BL否定論のそれこそステレオタイプだ。

とすればマンガのキャラクター造形に「政治的正しさ」を要求する@Yasu9412の政治的立場からして、『けいおん!』と同じ論調でBLも糾弾しなければ辻褄が合わない。

そのようにして相手の感性や価値観を言いたい放題に否定しておきながら、自分の「運動」の動員に都合良く利用する――これが【BL好きの人たち】を政治的に“消費”する行為でなくて、いったい何なのか。