百錬ノ鐵

百合魔王オッシー(@herfinalchapter)の公式ブログです。

第28回電撃大賞・榛名千紘『この△ラブコメは幸せになる義務がある。』が発売前から“炎上”した理由 #さんかくラブコメ

2021年10月8日、KADOKAWAが主催する「第28回電撃大賞各部門の入賞作品が発表された。

その中で「電撃小説大賞」の栄えある「金賞(※実質的には、大賞に次ぐ第2位)」に輝いたのが、神奈士郎『百合少女は幸せになる義務があります』であった。

この作品は翌年の3月10日に『この△ラブコメは幸せになる義務がある。』と改題し、電撃文庫から刊行されることになる。なお、それに併せて作者名も「榛名千紘」に変更されている。

発表の時点では粗筋しか紹介されていなかった本作が、主に百合コンテンツのユーザーから注目を集めた理由は次の3点だ。

まず、タイトルに「百合」というストレートな語句を使用していること。

次に、しかしそれでありながら主人公は男性であり、女性に恋する女性のヒロイン、およびその思い人である女性が、やがては揃いも揃って男性主人公に恋愛感情を抱くようになるという、異性愛至上主義のステレオタイプを焼き直した差別的な内容であることが、粗筋の時点で予告されていたこと。

そして実際の作品の登場人物および作者自身のネーミングが、百合アニメの名作として知られる『神無月の巫女』のパロディである点だ。

発表当初の作品紹介ページに掲載されていた粗筋を引用する。

 平凡な高校生・大神司はひょんなことから、クラスメイトでありクールでモデル顔負けの美少女・来栖川綾香が、品行方正なクラスのマドンナ・姫宮桜子のことを友達以上に思っていることを知ってしまう。

 綾香から強制的に桜子との仲を取り持つように指示される司だったが、その作戦中に桜子をナンパから助けた司は、彼女から好意を寄せられるようになってしまう! そうして始まった奇妙な三角関係のなかで、司は次第に綾香のことを心から応援しようと思い始めるが、一方でその綾香までもが司のことを大切な存在だと自覚し始めて……!?

 お前が好きなのは彼女か俺か、一体どっちなんだ!?

http://dengekitaisho.jp/announce_28_05.html

【大神司】【来栖川綾香】【姫宮桜子】といったネーミングが、『神無月の巫女』の主要キャラクター【大神ソウマ】【来栖川姫子】【姫宮千歌音】の名字を剽窃したものである事実は明白で、なおかつ作者自身の名前も「神ナ」とくれば、もはや情状酌量の余地もない。このようなふざけた作品は、通常であれば、入選以前に選考の時点で破棄されて然るべきであろう。

じじつ電撃大賞の公式サイト内の『よくある質問と回答』というページには《既存の作品のパロディや模倣はご遠慮ください。作品のイメージを悪化させたり、著作権者の権利侵害となる可能性があります。 》と書いてある。しかるに『神無月の巫女』のパロディ作品として制作された本作は、本来であればその「パロディや模倣」が発覚した時点で受賞を取り消されるはずであった。

当然、多くのユーザーからの批判を浴び、発売前の時点で“炎上”するという異例の――とはいえ既視感のある――事態となったが、

それを受けて編集部が取った対応は、信じがたいものであった。

介錯とは『神無月の巫女』の「原作者」として位置づけられる、二人組の漫画家ユニット(合同ペンネーム)。KADOKAWAが「角川書店」だった時代に「月刊少年エース」に掲載されたコミック版も手掛けていた。この度の騒動は折しも、同じKADOKAWAの「電撃マオウ」にて、スピンオフ作品『姫神の巫女』が連載されている最中であった(なお翌月発売号をもって最終回を迎え、単行本全3巻で完結)。

その介錯も次のようにコメントしている。

なお後述のとおり本作は、後にタイトルや作者名と併せて登場人物のネーミングも変更となるが、

少なくともこの時点で編集部は「原作者」と話さえ付けばそのままで“イケる”と甘く考えていたようだ。

もっとも『神無月の巫女』は、じつのところアニメを中心としたメディアミックス企画であり(発表はコミック版の雑誌掲載が先だが、一般に同作といえばローカル局で深夜放映されたTVアニメ版が想定される)、

その中で「原作者」とされる介錯の発言力がどれほどのものなのか、部外者には責任の所在がわかりにくい(キャラクター・デザインは別の人物)。むしろ立場上はコンカフェの雇われ店長のようなもので、実質的には何の権限もないのかもしれない。

いずれにしても、作品とは世に放たれた時点で、すでに作者の“もの”ではない(著作権上の問題は別)。仮に作者が、作品の世界観を真っ向から否定するパロディに“お墨付き”を与えたとしても、読者の側にそれを受け容れねばならぬ道理などない。

異性愛至上主義と《レズビアン差別》に根差したパロディ作品に、作者が“お墨付き”を与えたというのであれば、作者自身の責任も問われることになる。当然ながら。

(続く)