「関西クィア映画祭2014」への抗議活動を振り返って
今回「関西クィア映画祭2014」の《レズビアン差別》に対する抗議活動を展開する上で――いえ、それ以前からの信条として――、私のほうからは積極的にレズビアン当事者に呼びかけることをしませんでした。
なぜなら私のような立場(「百合萌え」の男性異性愛者)が、レズビアン当事者に接触を試みること自体が「レズビアン」に対するパターナリズム、場合によってはセクシュアル・ハラスメントとして機能してしまう事態となりかねないためです。
よってレズビアン当事者に連帯を呼びかけるものではありませんが、むろん、かといって連帯を拒むものでもありません。
今回の抗議活動において、レズビアン当事者が不在であることに疑問や不信感を抱かれた方もいらっしゃるかもしれません。しかし私としてはレズビアン当事者に直接アプローチする代わりに、一連の『公開質問書』の著作権を放棄し、誰もが自由に引用・転載できるようにしたことで、レズビアン当事者が少しでも声を上げやすくなるよう工夫したつもりです。
さらにTwitter内の影響力のある方々に『公開質問書』の拡散をお願いすることで、間接的にレズビアン当事者の目に留まるよう努めました。
また関西のLGBT団体に対して連携を訴えることも試みましたが、その結果として返ってきたのが“あのような”回答でした。
クィア運動を推進する学者たちに太刀打ちできるほどの知識も教養も学歴もない、私という一個人が思いつくあらゆる手段を試みましたが、結果として事態は何も変わりませんでした。
ただ、一つ救いがあるとすれば、関西のゲイリブ関係者と対話をする中で、関西ではレズビアンのコミュニティがひじょうに活発であるという情報を得られたことでした。関東住みの私にとって、予想だにしなかった話ですが、大阪が尾辻かな子氏の地盤であることを考えれば、むしろ自然な成り行きと言えるかもしれません。
願わくば、そうしたレズビアン・コミュニティのバイタリティが、ぜひ政治的な力にも結びついてほしいと思います。むろん、レズビアンであるという理由でことさら政治的に意識高くある必要はありませんが、せめて政治意識に目覚めた当事者の思いが妨げることのない社会を、非当事者としての私には整えていくことしかできません。
(2015年1月9日 追記)
>今回「関西クィア映画祭2014」の《レズビアン差別》に対する抗議活動を展開する上で――いえ、それ以前からの信条として――、私のほうからは積極的にレズビアン当事者に呼びかけることをしませんでした。
ただしレズビアン当事者の中でも政治家や学者、タレントといった社会的な権威性が認められる立場の人物についてはそのかぎりではありません。
(2015年1月15日 追記)
あるいはレズビアン当事者の発言についていっさい意見や反論をしてはならないということでもありません。
ただ、今回の「関西クィア映画祭2014」への抗議活動のような社会的・政治的運動に関して、そうした運動に加わる意思のない、一般の(つまりアカデミズムやマスメディアなどの社会的責任を負う立場にない)当事者をむりやり引き込むようなことはすべきではないというだけの話です。