百錬ノ鐵

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「ガチの百合」で何が悪い?~百合専門誌「コミック百合姫」の《レズビアン嫌悪》#百合姫 #コミック百合姫 #こばらゆうこ

言わずと知れた一迅社コミック百合姫」は、日本国内で唯一現存する百合漫画専門誌である(同人誌の「ガレット」を除く)。

ゼロ年代前半の『マリみて』ブームに便乗して創刊された「百合姉妹」を前身(当時の版元はマガジン・マガジン)とするこの雑誌は、なもり『ゆるゆり』、サブロウタcitrus』、未幡『私の百合はお仕事です!』などのヒット作とともに日本の百合文化をリードしてきた一方で、

まさに『マリみて』ブームの負の遺産と呼ぶべき精神性偏重志向――すなわち「友達以上恋人未満」こそが「百合」の理想とする凝り固まった百合観を、読者に刷り込んできた側面も否めない。

ossie.hatenablog.jpそのような精神性偏重志向は、初代編集長・中村成太郎の偏った嗜好が如実に反映されたものであったが、

中村が編集部を退いた今となっても、なお連綿と受け継がれている。

2023年2月号「編集後記」より(P.574)

はじめまして、ぷぺと申します! 生まれたての百合読者です。女の子同士の友情の延長線上にある、恋っぽいけど恋じゃなさそうな微妙な関係性がだ~~~~~いすきです! どうぞよろしくお願いいたします!

あれは一昨年のことだったか。秋葉原のコミック専門店を巡っていたら、ちょうど前を歩いていた二人組から、

「ガチの百合じゃなくて、うっすらと百合ってところがいいんだよねー」
「わかるー」

といった軽薄な会話が聞こえてきて、

「ガチの百合の、何が悪い!」

と叫びだしたい衝動を抑えるのに必死だったのを昨日のことのように思い出す。

加えて《新米百合カップルが映画で百合のお勉強★》という触れ込みの、こばらゆうこ『フィルムに咲く百合の花を集めて君に贈りたい』という連載(P.567-569)では、

女性異性愛者同士の「恋愛」を伴わない「友情」を描いた岩井俊二監督のシスターフッド映画『花とアリス』が《たとえ恋愛(引用者註:この場合は異性愛が絡もうとも切り離すことができない(引用者註:女性同士の)絆 それも百合と言えるんじゃないかしら…》という強引な解釈で「百合」として紹介されている。

「友情」と「恋愛感情」の境目をどうやって分けるか、という議論があってもよい。だが作品内において女性キャラクター同士の「恋愛(同性愛)」の可能性が明示されない(あるいは否定されている)作品を「百合」と“曲解”する試みは、逆に女性同士の「恋愛」をも「友情」の範疇に押し込めるレトリックを可能とする。

さらにその女性同士が異性愛者であれば、同性愛者の女性キャラクターに対しても男性(異性)との「恋愛(異性愛)」を要求・期待するバイセクシズム――すなわちヘテロセクシズム(異性愛至上主義)が形を変えた“両性愛”至上主義――の“解釈”を誘発する。

ossie.hatenablog.jp

そのような詐術は、現実社会におけるマジョリティの「異性愛」とマイノリティの「同性愛」の社会的・政治的非対称性を考慮せず、観念の上だけで「百合」を弄ぶマジョリティ特有の傲慢な差別意識のなせる業であり、

さらには、それをよりによってマイノリティ当事者である「百合カップル」に行わせるというグロテスクさに吐き気がする(なお作者自身のセクシュアリティは不明だが、いずれにしてもそんなことは関係ない)。

かくしてコミック百合姫」は、ひいては「百合姉妹」の時代から「百合」を掲げながらも、どうにかして「恋愛(同性愛)」の可能性を切り離そうとする、じつに奇妙な精神性を保持し続けている。

それにしても《女の子同士の友情の延長線上にある、恋っぽいけど恋じゃなさそうな微妙な関係性》をもてはやす一方で「ガチの百合」を敬遠する精神性の根底には、いったい何があるのだろうか。

けっきょくのところ、それは「百合」を、異性愛至上主義社会の体制維持に都合の良い次元に矮小化する《レズビアン嫌悪》に根差した差別的な消費であり“搾取”のありように他ならないではないか。

レズビアン」に対する《性的搾取》としては、しばしばポルノグラフィなどによって、ことさら“性的”なイメージばかりが強調される事例が挙げられる。

しかし一方で「レズビアン」から、ことさら“性的”なイメージを排除しようとする作為もまた、

いわば「精神的な同性愛」は認めるが「肉体的な同性愛」は許さないといった御都合主義にもとづいてレズビアン」という生身の存在を“性的”とそうでないイメージに二極化している点では表裏一体であり、これはこれで《性的搾取》の一形態にすぎないのである。

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もっとも、そのような「百合姫」編集部や一部の偏狭なユーザーの固定観念とは裏腹に、

実際の「百合姫」に掲載されている作品の多くは、上述の『citrus』とその続編『citrus+』に象徴されるとおり、女性同士の「恋愛」をナチュラルに肯定する、むしろ異性愛至上主義と対極にあるものだ。

SNSに目を向けると、本年度の「次にくるマンガ大賞」でWebマンガ部門の第1位に輝いた新井すみこ『気になってる人が男じゃなかった』のような「ガチの百合」に対する需要が高まっているのを実感する。

(KADOKAWAオフィシャル 書誌詳細ページ)
CDショップで働いているミステリアスな「おにーさん」が気になってしょうがない女子高生・あや。しかし「おにーさん」の正体は、話したこともない、クラスメイトの目立たない女子・みつきだった――。
SNSで最高に注目を集める女同士の「愛情」を巡る物語、待望の書籍化。みつきの過去をめぐる描き下ろしストーリーを収録。

また『機動戦士ガンダム 水星の魔女』が『ガンダム』シリーズ史上初となる女性主人公【スレッタ・マーキュリー】とヒロイン【ミオリネ・レンブラン】の「同性婚」をテーマにしていながら、

「月刊ガンダムエース」に掲載された主演声優のインタビュー(2023年9月号)では、その電子版において「結婚」の文字が削除されたことが批判を受けて“炎上”した一件も記憶に新しい(もっとも後に発売されたブルーレイ最終巻の付属ブックレットでは、監督自身の発言によって二人が“結婚”して正式にパートナーとなった事実が認められ、ファンに一応の安堵をもたらした)。

令和の新時代に突入してもなお、旧弊の異性愛至上主義と《レズビアン嫌悪》を反省しようともしない「百合姫」編集部と一部の頑迷なマニアを尻目に、現代の百合作家とそのユーザーは、よりアップデートされた深みのある百合コンテンツを求めている。

平成の百合文化をリードしてきた「百合姫」が、今や百合文化の足を引っ張っている状況なのは皮肉なものだ。