百錬ノ鐵

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未だに《レズビアンがトランス女性と付き合わないのは「差別」だ》と言い続ける「トランス主義者」シオヤギくん(Gay_yagi)の“屁理屈”ふたたび

(2023年3月20日 加筆修正)

しばらくご無沙汰していたが、久しぶりのブログ更新も「シオヤギくん(@Gay_yagi)」のネタである。

このところTwitterアルゴリズムとやらに変更があったようで、フォローしていないアカウントのツイートが「おすすめ」としてTLに表示されるようになった。シオヤギくんからは本垢ではブロックされているが、副垢の方に流れてきたので図らずも彼の、相変わらずなトンデモ言説を目にする羽目になってしまった。

ところでシオヤギくんから引用リプライで噛みつかれている「井上巻き貝(@inoue_goku)」なる人物。じつは過去に当ブログでも取り上げたことがあり、その当時はむしろ「トランスアライ」というスタンスでシオヤギくんと異口同音の主張をしていたはずだが、いつのまにかトランスジェンダリズムに批判的な立場へと転向し、逆にトランス主義者たちから石もて追われる身となったようだ。まぁ「理論」を学べば学ぶほど「実態」を知れば知るほど、正常な知性を有する人であればその異様さに気が付くのがトランスジェンダリズムでありクィア理論なのだから当然といえば当然である。

ossie.hatenablog.jpさて、しばしば「同性愛者」に関する説明で《同性に“惹かれる”人》という言い回しを目にすることがあるけれど、じつのところ、それは不適切な表現である。

性的指向にかかわらず、人が、たんに他の人に“惹かれる”ことと、その人と恋愛関係や肉体関係といったいわゆるパートナーシップを結ぶことを希望(あるいは夢想)するかどうかは、まったくの別問題であるからだ。

すなわち「性的指向」の概念が指し示す「愛」とは後者(継続的ないし一時的なパートナーシップの希望)であり、

ゆえに「性的指向」は個人のセクシュアリティにとどまらず、同性婚やパートナーシップの問題などともリンクしながら、人間の尊厳にかかわる「人権問題」「社会問題」として議論されている。

これを上掲したシオヤギくんの言説に当てはめるなら《人はパンツの中身を確認してから》つまり相手がトランスジェンダーであることを知ったうえでもなお《恋に落ちたり性的魅力を感じる》か否かというのが問題の本質なのだ。

なお、かつて物議を醸した国連機関「UNAIDS」の広告Would you still love her if she were transgender?(彼女がトランスジェンダーであっても、まだ愛しますか?)は、まさにそうした事態を指し示したものである。

ossie.hatenablog.jpこの問題について原理原則で答えるのであれば、人それぞれ、というほかないだろう。いわゆる「異性愛者」の男性であっても、男の娘バーやニューハーフヘルスに通う人がいることと同じで、それこそ性的指向(sexual orientation)」ではなく「性的嗜好(sexual preference)」の問題でしかない。

しかし現実問題として、レズビアンの女性が女性とコトに及ぼうとする際、事前に相手がトランスジェンダーであることに気が付かず、直前になって「身体性別」を理由に拒否したのであれば、

そのレズビアンは「トランスフォビア」さらには「ペニスフォビア」として“糾弾”されてしまうのが実情なのである!

togetter.comそして《Would you still love her if she were transgender?》を手放しで礼賛する発言(上掲記事参照)に象徴されるとおり、シオヤギくんは【トランス女性を性的対象に含めないレズビアン】を「トランス差別主義者」と決めつけたうえで(現時点では困難であったとしても、将来の可能性においては)トランス女性を愛する可能性に“開かれる”べきであると主張する、まさしく「レズビアン差別主義者」のトランス主義者である。

トランスジェンダーを「恋愛対象(性的対象)」に含めるか否かという問題について《個人の好みであってゲイやレズビアン全体の話ではない》と言いながら(それ自体は正しいが)、

一方で《シスは同性愛者/異性愛者としてトランスジェンダーと恋愛もする》などと、自ら「主語」を勝手にデカくして「ゲイやレズビアン全体の話」にしてしまう。こうした議論のブレもシオヤギくんの特徴だ。

ossie.hatenablog.jpシオヤギくんの「勘違い」は、ようするにゲイ/レズビアンないし同性愛者/異性愛者の中にはトランスジェンダーを性的対象に含める人もいる、という至極単純な事実の「話」を、

トランスジェンダーを性的対象に含める“べきである”》という倫理・規範に摩り替えている点にある。

こうした「ザイン(存在:~である)」と「ゾルレン(当為:~べきである)」の混同は、ごく初歩的な論理的誤謬である。

また、そんなシオヤギくんはトランス主義者の例にもれず、この期に及んで《「身体性別」という言葉の定義》がわからないなどとしらばっくれている。再び引用しよう。

そもそも"身体性別"という言葉自体何を指しているのか定義も曖昧なのですが、それをさも明瞭な線引きであるかのように語ってしまうのも典型的な勘違いなんですが…

仮に"身体性別"が「出生時に割り当てられた性別」を指すとなると、もうそれは「外見では判断できない」ということになりますね。そもそも人はパンツの中身を確認してから恋に落ちたり性的魅力を感じるわけではありませんし。

このようなシオヤギくんの“屁理屈”は、ざっと見ただけで何重もの間違いがある。

まず一つは、上述したとおり問題の本質が《パンツの中身を確認》する前ではなく、その“後”の話(Would you still love her if she were transgender?)であることを摩り替えている点。

また《そもそも人はパンツの中身を確認してから恋に落ちたり性的魅力を感じるわけではありませんし。》というのは、ようするに人間の性別は外見・外面からでは判別できないと言いたいのであろうけれど、

それを言うなら人間の「内面」すなわちトランス主義者が唯一絶対の価値基準として称揚する「性自認」など、なおさら外見・外面から判別しようもない。

性自認」とはあくまでも自己申告に委ねられる、言い換えるなら“性善説”に立脚した概念であるが、人間はウソをつく生き物だ。

げんにシオヤギくん自身が《レズビアンがトランス女性と付き合わないのは「差別」だ》と言いながら「差別」とは言っていない、とウソばかりついているではないか。

ossie.hatenablog.jpそも「身体性別」つまり生物学的性別は、性器の形状(パンツの中身)のみならず、子宮の有無、性腺、乳腺、ホルモン、染色体、骨格……など、単一でなく複合的な基準によって判定される概念だ。

このように書くと、トランス主義者はしたり顔で「科学者でもないのに、どうして他人の染色体がわかるのか?」と絡んでくるけれども(もっとも、それをいうなら精神科医でもないのにどうして「性自認」がわかるのか? ということになってしまうが)、

私たちの日常生活で他者の性別を認識するにあたって、そこまで正確・厳密な科学的定義など必要ない。電子レンジの構造が分からなくても、電子レンジを使って調理することができるように“だいたい”合っていればじゅうぶん事足りる場合がほとんどだ。

また、言うまでもなくトランスジェンダーはマイノリティであり、実際のトランスジェンダー当事者の人口比は、わずか1パーセントに満たないという統計がある。

トランスジェンダーはどれくらいいるのか – はじめてのトランスジェンダー trans101.jp

すなわち、たまたま好きになった相手がトランスジェンダーである可能性も、きわめて低いと言わざるをえない。

そして一般に、自分の性的対象から外れる相手との性行為を想定して嫌悪感を抱くことは、ごく自然な心理だ。

仮にそれが「トランスフォビア」であるというなら、むしろ《Would you still love her if she were transgender?》などと不要な想定を強要することで「トランスフォビア」を煽動しているのはシオヤギくんに代表されるトランス主義者の側ということになる

もっとも「身体性別」を基準にして性的対象を選別する人であっても、ただ「身体性別」が男性ないし女性でありさえすれば相手は誰でもいい、というケースは稀であろう。

たしかに性的対象は「身体性別」のみならず、いわゆる性自認・性表現、さらには性格、趣味嗜好、思想信条、経済力、SEXの相性……などを含めて複合的に判断される「人間性の事柄である。

ところが、こうした「複合的性別」および「人間性の問題について、シオヤギくんに代表されるトランス主義者は、

「身体性別」のみならず複合的に判断する、というのを「身体性別」は“無関係”である、とミスリードするのだ!

こうした十分条件」と「必要条件」の意図的な混同は、まさしくトランス主義者に特有の詭弁術であり、かれらの認知の歪みきった単一的・一元的な貧困きわまりない世界観を如実に示すものとなっている。

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