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【トランスQ&A】Q:恋人の性別が変わっても「恋愛関係」を続けなければ《トランス差別》になりますか?~LGBT活動家・小浜耕治(aoikousi)氏に訊く

(2023年2月25日 加筆修正)

当ブログでも取り上げた国連スローガンWould you still love her if she were transgender?もし彼女がトランスジェンダーであっても愛しますか?)》をめぐって、また新たな解釈にもとづいて支持するトランスアライの人が現れたのでご紹介します。

以下に続く、仙台のLGBT活動家・小浜耕治(@aoikousi氏と私の議論を、インタビュー形式でまとめました。 

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Twitter上の会話をインタビュー形式で編集するにあたり、次の加筆修正を行いました。

  • 強調・改行
  • 明らかな誤字の差し替え
  • 言葉のニュアンスや議論の流れに影響しない程度の補足
  • 私自身の解説・感想

インタビュー中に引用したツイートのURLは省略しました。必要な方は当方のTwilogから当日のツイートを辿ってください。

当日のTwilog

https://twilog.org/herfinalchapter/date-210726

トランスであることを理由に関係を終わらせたら、それは差別でしょう。勘当したり、家族に反対されて別れたりって言うのは、トランスを理由に解雇するのがダメなのと同じでしょ。すでにある関係性を侵すわけだから。
これから関係を持つかどうかの、個別の個人的選択とは違う話。

https://twitter.com/aoikousi/status/1419327320746184709

さて議論に入る前に、確認しておかなければならないことがあります。

まず《勘当したり、家族に反対されて別れたり》という家庭内の問題、あるいは《トランスを理由に解雇》という就職・労働の問題。

次にトランスジェンダー(※ここでは性別が変化した恋人)」との「恋愛関係」を継続するか・解消するかという個人のセクシュアリティ、あるいは当事者間のプライベートな「関係性」の問題。

これらはそれぞれ、まったく別次元の問題であるはずですが、小浜耕治氏の議論では、どういうわけだか無批判かつ無条件に混同されています。

加えて「トランスジェンダー(性別が変化した恋人)」との「恋愛関係」を解消するという個人間の「関係性」の問題と、そうした「恋愛関係」を“持つ”以前に「トランスジェンダー」を恋愛対象から除外すること――小浜氏のいう「個別の個人的選択」を恣意的に線引きした上で、

前者が「差別」であり、後者が「差別」でないとする小浜耕治氏特有の解釈も、よくわかりません。

つまり小浜耕治氏の議論は、その前提からして間違っているわけで、もうこの時点で暗雲が立ち込めているのですが――

* * *

聞き手:百合魔王オッシー(@herfinalchapter)

――恋人の性別が変わったら、私の恋愛対象ではなくなるので「恋愛関係」は終わりますね。友達にはなれるかもしれませんが。

 で、それが「差別」なのですか。

小浜 性別が変わると恋愛対象でなくなるというのは、どういう根拠なのでしょうね。
性別だけが根拠で維持される恋愛って、硬直してませんか?

 葛藤はあるでしょうが、それだけで判断はしないでしょう。トランスジェンダーだとわかっても、その人の人格は変わっていませんよ。

――それは貴方の価値観で「差別」であるか否かという問いの答えにはなっていませんし、それを人に押しつけるのも間違いです。

 つーか一度「恋愛関係」を結んだ人とは性別が変わっても「恋愛関係」を維持しなければならないというのは、それこそ“硬直”した考え方ですね。

 あと「性別」を人格から切り離すのも意味不明です。

  • そもそも「性別」が変わっても「人格」が変わらないというのが意味不明です。たとえば〈女性〉が〈男性〉に変わったなら、仕草や口調や思考や趣味も“男らしい”ものとなり、さらに性別適合手術を受けるのであれば性器の形状や(ホルモン量の変化に伴う)体格も変わるのだから、これはもう「人格」どころか、それこそ染色体を除けばまったくの別人になるといっても過言ではないと思うのですが……。

小浜 恋愛関係が終わるのにはいろいろ要素があるでしょう。それを考えないで「性別が変わった」のみで即決したら「性別が変わる」ことに特にネガティブに考えてるってこと。それは社会のトランスフォビアの影響を受けた自分の問題でしょ。

 もちろん性別は人格の一部よ。でも全部じゃないって言ってるの。

 「性別が変わる」にもいろいろあるわ。戸籍性を変更したら結婚できなくなるというのだったら、それは制度的差別です性別を変えた人に責があるわけではない。制度も含めて関係を話し合えば良いこと。終わらせるという選択も有り得るけれど、それは一方的なものではないでしょう。関係性の問題よ。

  • なぜ急に「オネェ言葉」になるのかわかりません……。

――ただ恋愛対象でなくなるというだけで《「性別が変わる」ことに特にネガティブに考えてるってこと》ではないですね。

 むしろ貴方こそ恋愛対象でなくなることを《特にネガティブに考えてる》だけでは。

 私は男性の異性愛者なので、女性(異性)のパートナーが「男性(同性)」に変わったら恋愛対象(性的指向)から外れるというだけですね。

 《「性別が変わる」ことに特にネガティブに考え》てなどいませんし《トランスフォビアの影響を受けた》わけでもありません。

 どうして見ず知らずの貴方に私の内面的な「考え」を勝手に決めつけられなければならないのでしょうか。

 性別が人格の「全部」であるとも言っていません。勝手な決めつけはやめてください。 

 ただ、性別が変われば人格だけでなく容姿も変わりますね。 容姿を基準にパートナーを選別するのが「差別(ルッキズム)」であるとするなら、そもそもパートナーを“選別”するという行為自体が“差別的”ということになってしまうのでは。

 もっとも《制度も含めて関係を話し合えば良いこと。》というのは仰る通りです。

 私がパートナーとどのような「関係性」を形成するかは、私とパートナーが話し合って決めることで、見ず知らずの貴方にジャッジされる筋合いはありません。

小浜 「性別が変わった」のみで即決したら「性別が変わる」ことに特にネガティブに考えてるってこと。それは社会のトランスフォビアの影響を受けた自分の問題でしょ。 相手に責はない。二人で話し合うことよ。

――「責?」があるだのないだのという話はしていません。【相手】が悪いとも言っていない。

 「トランスフォビア」はさておき「自分の問題」というのは、たしかにそのとおりで、それこそ私自身の問題について見ず知らずの貴方に干渉される筋合いはありません。 

小浜 性別が変わるって言うけど、何を指してるの? 性自認は変わってないでしょ。カミングアウトしただけ。

――えっ? 「トランス男性は男性」なんですよね? だとすれば男性異性愛者(あるいは女性同性愛者)の性的指向から外れることになりますよね。

 もちろん個々の事例としては「恋愛関係」を維持する人たちもいるでしょうが、それは個人の問題であるはず。

小浜 性自認が変わるのが「性別が変わる」ってことなのね。すでにその人を好きになってるのに、性的指向から外れることになるのかしら?

 好きになってきた経験で、性的指向は明確になっていくわよね。時には揺らいだりもする。

  • 抽象的な言い回しでわかりにくいのですが、ようするに小浜耕治氏の言わんとするところは、恋人の性別の変化に応じて「性的指向」も変えていくべきという主張のようです。
  • しかし前にも述べましたが、それは小浜耕治氏の価値観であって、人に押しつけるのは間違いです。
  • トランスジェンダージェンダーアイデンティティを尊重すべきであるというなら、異性愛者および同性愛者のセクシュアル・アイデンティティも尊重すべきでしょう。

――性自認が変われば容姿(髪型や服装の好みなど)だって変ってくるんじゃないですか? 加えてSRSを希望しているのであれば性器の形状も変わり、SEXの仕方も変わりますね。

 その上で「恋愛関係」を維持するか否かは性的嗜好」の問題であり「差別」ではありません。

小浜 フォビアに影響されてネガティブに、って言うのは無自覚にそうなることが多いから恐いのよ。悪気はなくても差別は差別ということ、大事な点ですね。

――いや、私は「トランスジェンダー(あるいは性別を移行した恋人)」を恋愛対象から除外することが「差別(トランスフォビア)」であるという前提自体に疑義を投げかけているわけですから、

 それを一方的に「差別(トランスフォビア)」と決めつけた上で《無自覚にそうなることが多いから怖いのよ。悪気はなくても差別は差別》といった教条主義に繋げるのは論点先取ですね。

  • 「トランスフォビア」にかぎらず、おうおうにして当人の差別意識に当人が“無自覚”で、第三者から指摘されても認めようとせずに開き直る――というのは、たしかに《差別あるある》ではあります。
  • その意味で、小浜耕治氏の批判は一見、的確であるかのように思えますが、しかしじつのところ、やはり論点がずれているのです。
  • なぜなら、人が“無自覚”のうちに「トランスフォビア」に影響される可能性がありうることと、
  • トランスジェンダー(あるいは性別を移行した恋人)」を恋愛対象から除外するというセクシュアリティが「トランスフォビア」に影響された結果であるか否かは、まったく別次元の問題であるからです。
  • しかるに小浜耕治氏は「トランスジェンダー(あるいは性別を移行した恋人)」を恋愛対象から除外することが「差別(トランスフォビア)」であるという命題を何ら立証できず、ただそれを一方的に「差別(トランスフォビア)」であると強弁しているだけです。
  • そうした小浜耕治氏の勝手な思い込みにもとづくレッテル貼りは、ひとえに「トランスジェンダー(あるいは性別を移行した恋人)」を恋愛対象から除外するという事象を、それこそ“ネガティブ”に捉える小浜耕治氏自身の偏見を露呈しているにすぎません。

――で、やっぱりトランスジェンダーを性的対象に含めない(性的対象から除外する)ことは、貴方に言わせると「差別(トランスフォビア)」なんですね?

小浜 そうじゃないでしょう。関係性がまだないときに断るのは、相手が気に入らないだけでしょ。

――恋人の性別が変わっても「恋愛関係」を維持しなければ「差別」と見なされるのであれば《関係性がまだないとき》でも【相手】の性別が変わる可能性を考慮しなければならないので、どっちみち同じですね。

 言い換えるならトランスジェンダー(性別が変化した恋人)」との「恋愛関係」を解消することが「トランス差別」に含まれるかという話でしょ?

  • 以下に続くやり取りは、小浜耕治氏の側が新たに提示してきた論点が議論の本題から外れているため、読みやすさを考慮して削除することも考えましたが、小浜耕治氏がどのような物の考え方をする人物であるかを示す材料となりうるかもしれないので、別枠でまとめます。

小浜 たとえば、ブッチなレズビアンだと思って付き合ったら、トランス男性だったとして、それだけの理由で別れるかしら?

 「トランス男性です」と言われて付き合うかどうかは個人的な選択で、そんなのは「差別」とは言えない。

 ただ、見た目と性自認が違うかもって想定できないのは、トランスの存在を不可視化してる社会の「差別」ではあるわね。

――そんな話はしてませんね。「恋愛関係」を結んだ時点では「見た目と性自認」が同じだった恋人の「性自認」が変化した場合の話だったはずでは?

 いずれにせよTGがマイノリティである以上、それはレアな事例で、そのようなものを一概に「差別」と決めつけることはできないのでは?

  • 後から気付いたのですが《ブッチなレズビアンだと思って付き合ったら、トランス男性だった》というのは、性別性自認)が“変わった(変化した)”というより、もともと性自認が曖昧な人だったというだけでは? 
  • いずれにしても、恋人の「性別」が変化するという命題から一般的に想定される事例とは掛け離れていますね。

小浜 これは「見た目」と「性自認」が同じ人の性自認」が変わったって例なんですけど、わかりますか?

――????? その人がトランス男性“だった”のであれば、相手の側がその人の「性自認」を誤解していただけなので、 性自認」が“変わった(変化した)”わけではないですよね?

 つーかどうして、そのように論点を摩り替えてまで見ず知らずの他人を「トランス差別主義者」に仕立て上げることに躍起になってるんですかね? 糾弾自体が自己目的化しているとしか言い様がありません。

小浜  差別主義者じゃなくて、社会にトランス差別があるから気を付けないと踏んじゃうよって話なんですけどね。

――で、貴方はやはりトランスジェンダー(性別が変化した恋人)」との「恋愛関係」を解消することを「差別」だと考えるんですね? なら初めからそう言えばいいんじゃないですか?

小浜 差別に含まれますよ。

――トランスジェンダー(性別が変化した恋人)」との「恋愛関係」を解消することが「トランス差別」に含まれるという小浜耕治氏のお考えは理解しました。

 しかし、それを「差別」と判断される根拠は何でしょうか?

 そもそも《性別だけが根拠で維持される恋愛》が「硬直」しているというのは、 たんなる小浜耕治氏の感想であって「差別」であるか否かの判断とは無関係ですね。

 「差別」でないことを「差別」と言い張るのは差別概念の恣意的な濫用であり、ひいては反差別運動への信頼を失墜させます。

 念の為確認しますが、ここでいう「差別」というのは《人権侵害》のことですよね?  

 私が「恋愛関係」を解消したとして【性別が変化した恋人】の「人権」を、どのように“侵害”することになるのですか?

小浜 トランスジェンダーの人格否定という人権侵害ですね。

――「人権」を「人格」に置き換えただけのトートロジーで、まったく答えになっていませんね。

 私が【性別が変化した恋人】との「恋愛関係」を解消したとして、【性別が変化した恋人】の「人格」を、どのように“否定”することになるのですか?

 というか、私の「人権(性の自己決定権)」はどこへ行ったのでしょうか?

小浜 それぞれ話し合って、受け入れられるかどうか? 無理だからSRSは諦めるか? 性別変更するから離婚するか? 関係を解消するかを二人で決めれば良いでしょ。お互い納得すれば良い。

  • 議論をあらためて読み返してみると、どうやら私と小浜耕治氏との間で「恋愛(もしくは恋人)」に対する考え方も大きく異なっているのではないかという気がしてきました。
  • 私の場合ですと、とくに結婚願望はなく、恋人はいたらいたでいいし、いないならいないでいいといった感じで、一人のひとに執着することもないため、無理に相手に合わせる必要はないというスタンスです。
  • ただし「恋愛関係」という側面では“終わった”としても、裏を返せば「恋愛関係」とは異なる、別の新たな「関係性」に移行する可能性はあります。
  • その意味で、いちおう「友達にはなれるかもしれませんが」と譲歩をつけたのですが、それでもダメとのこと。厳しいです(泣)。

――相手がトランスであろうとシスであろうと「恋愛関係」は双方の合意の上に成り立つのですから、 一方の「当事者」である私が合意を断った時点で「話し合い」は終了です。

 トランスジェンダーの権利(人権)が強調される一方で、私の「人権(性の自己決定権)」は尊重していただけないのですか?

小浜 双方合意の上成り立っているものを、「性別」だけを理由に一方的に解消することはできないということです。

  • ?????
  • 「恋愛関係」が《双方合意の上成り立っているもの》なのであれば、なおのこと一方の意志だけで(維持・継続すること)は成り立たないのでは?
  • というか一方の要求だけで成立する関係性なら「双方の合意」は必要ありませんね。何を言っているのかさっぱりわかりません……。

――「できない」とは? 何の根拠があって見ず知らずの私とパートナーの「関係性」を、そのように断定されるのですか?

 繰り返し訊きますが、私の「人権(性の自己決定権)」はどうなるのですか?

小浜 やったら差別になるよってことです。

 自己決定すれば良いですが、そのための情報をコミュニケーションの上で得ていないと、差別に誘導されてしまうと話しています。

 説明したら過剰だと言い、明確に言っても反発しかしないのは疲れます。

  • 小浜氏の言う《説明したら過剰》というのは、上に別枠でまとめた箇所を指していると思われます。ですが既述のとおり、それは論点がまるっきりズレているので「説明」になっていません。

――「そのための情報」とは? 何のための「情報」ですか?

 また「説明」が「過剰」だとは言っていません。論点がずれているので「説明」になっていないと指摘しています。

 私の「人権(性の自己決定権)」を、見ず知らずの貴方から頭ごなしに否定されているのだから“反発”するのは当然では?

  • それにしても「反発」という物言いもすごいですね。
  • なにやら勘違いなされているようですが……私は小浜耕治氏から“講義”を受けているわけではなく、ただ氏の主張の不備や矛盾を論理的に指摘しているだけです。ましてや私は、氏の生徒や部下になった覚えもありませんし、彼にその資質があるようにも思えません。

ご覧のとおり小浜耕治氏は、トランスジェンダーに対する「嫌悪(トランスフォビア)」の問題と、トランスジェンダーを「性的対象」に含むか否かという「性の自己決定権(性的主体性)」の問題が、ごっちゃになっています。

小浜氏の言うように、トランスジェンダーに対する「嫌悪」を理由としてトランスジェンダーを「性的対象」から除外する人もいるでしょう。しかし一方で、逆にトランスジェンダーと好んでSEXする人が、そのじつトランスジェンダーに対する偏見や侮蔑(トランスフォビア)に凝り固まっている場合も少なくありません。

そも私自身を含めてトランスジェンダーを「性的対象」に含まない人の多くは、トランスジェンダーを“嫌悪”しているわけではなく、たんにトランスジェンダーとの恋愛やSEXに興味がない・想定していないだけではないでしょうか。

このようなセクシュアリティの多様性から導き出されるのは、すなわちトランスジェンダーを「性的対象」に含むか否かで「トランスフォビア」の有無を判断することはできないという帰結です。

小浜耕治氏の“硬直”した世界観は、現実世界のそうした多様かつ繊細な人間の性のありように対応できていません。このように非論理的で粗雑な物の考え方しかできない小浜耕治氏は、人間のセクシュアリティや差別といったセンシティブな問題を議論することに向いていません。

そして――

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Q:恋人の性別が変わっても「恋愛関係」を続けなければ《トランス差別》になりますか?

A:なる、そうです。