百錬ノ鐵

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総括:「関西クィア映画祭」とは何だったのか

(2014年10月25日 加筆修正)

昨日をもって「関西クィア映画祭2014」の開催が終了しました。

しかし当方が『公開質問状』で提起した《レズビアン差別》の問題について、実行委員会から開催期間中に具体的な見解が表明されることはありませんでした(「レズビアンを名乗る人々に対して批判をする意図がない」という、紋切型の“言い訳にならない言い訳”が返ってきただけです)。

そして「関西クィア映画祭2014」は、宣言文における《レズビアン差別》の表現について外部からの指摘・批判を受けながらも、「飲み会」に明け暮れる一方で、けっきょく開催期間中に修正ないし撤去を行うことはありませんでした。

https://twitter.com/Genya_F/status/523480305160572931
映画祭2日目終了後、飲み会へ行くひとたちをよそ目に帰宅して、字幕製作の最終調整を片づけます。今日は電源ケーブルも忘れずに持って帰ってきたし、あと1時間くらいで終わりそう。今夜はちゃんと寝られるといいなあ。

仮に開催期間をすぎてから、コソコソと宣言文を書き直したところで、いったい誰の目に留まるのでしょうか?

ただ、当方が「関西クィア映画祭2014」のサイトにアクセスした(Twitter上のリツイートとして回ってきた)時点で開催まで一週間を切っていたため、抗議行動を起こすにあたり大幅に遅れを取ってしまったのは悔やまれるところです。

しかし、問題の差別的な宣言文が「レズビアン」に対する「ヘイトスピーチ(差別煽動表現)」であることは明白なのですから、ひとまず応急処置として宣言文を“撤去”するという判断はできたはずです(細かい言葉尻を“修正”してどうにかなるレベルの問題ではありません)。

そも「実行委員」および「当日スタッフ」として25名もの人物が携わっていながら、宣言文が「レズビアン」に対する「ヘイトスピーチ(差別煽動表現)」であることに誰も気がつかないという組織の体質自体が、じゅうぶん批判・糾弾に値する問題です。また《反差別》を標榜しながら何が「ヘイトスピーチ(差別煽動表現)」に当たるのかもわからない「関西クィア映画祭2014」実行委員会の政治的意識の低さも露呈する格好となりました。

なお今回、主にTwitter上にて抗議活動を展開しましたが、イベント自体は満席になるほどの注目を集めながらも、当方の告発・批判に対する反響は予想以上に鈍く、宣言文の問題性・差別性を指摘する声も、当方を除いてほぼ皆無でした。

この結果こそが、社会の《レズビアン差別》の問題に対する絶望的なまでの無関心、そして「レズビアン」の置かれている社会的・政治的状況の深刻さを証明しているのではないでしょうか。

ここで総括といたしまして、一連の抗議活動を通して得られた、「関西クィア映画祭」という団体が、いかなる団体であるかの結論を出したいと思います。

・「関西クィア映画祭」とは、いわゆる「セクシュアル・マイノリティ」の社会運動において強い影響力を持つ特定の個人を崇拝し、その言説を無批判に受け売りした上で自らの宣言文に流用する、何の主体性もない盲目的な“信者”たちの団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、いわゆる「セクシュアル・マイノリティ」の社会運動において強い影響力を持つ特定の個人が、その政治的・思想的基盤とする、クィア理論およびクィア運動の政治的イデオロギーに依拠し、その啓蒙・推進を「真の目的」とする団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、その政治的・思想的基盤となるクィア理論およびクィア運動の啓蒙・推進にあたり、「LGBT」との共生・共栄を計ることなく《対立構造》を作り出す先鋭的・独善的な団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、〈多数派/少数派〉という恣意的かつ非実際的な二項対立の観念に基づき「人間」を分類・分断した上で、「クィア」を称する自らを「少数派の中の少数派」の立場に限定・固定し、自らの言動を特権化・聖域化することによって、自らが「少数派の中の多数派」として糾弾・断罪する「LGBT(とくにL=レズビアン)」に対しての「ヘイトスピーチ(差別煽動表現)」を自己免罪する、まさに〈少数派〉の中で〈多数派〉への“成り上がり”を画策する権力志向の団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、「LGBT」のアイデンティティ形成を「枠」と決めつけ、その「枠」に適合しないセクシュアリティを有する人々の救済・支援という大義名分を掲げる一方、そうした「目的」とクィア理論およびクィア運動の啓蒙・推進という「手段」を巧妙に摩り替えた上で、「目的」のために「手段=真の目的」を正当化する欺瞞に満ちた団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、「LGBT」以外のセクシュアリティを有する人々に「クィア(変態)」という「枠」を押し付け、さらには「少数派の中の少数派」というスティグマ(負のレッテル貼り)を植え付けた上で、自らが敵視・蔑視する「LGBT」に対して仕掛けた政治的抗争に引きずり込むことにより、「LGBT」とそれら以外のセクシュアリティを有する人々との連帯を不可能とし、結果「LGBT」以外のセクシュアリティを有する人々を社会的に孤立させる、差別問題の現実的解決よりも自己の党派性の固持・強化に重きを置く団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、「LGBT」の性的アイデンティティと政治的運動としての「ゲイリブ」を混同した上で、「ゲイリブ」が「LGBT」以外のセクシュアリティを有する人々を排除してきたとの批判・糾弾を「LGBT」の当事者に敷衍し、あたかも「LGBT」が「LGBT」以外のセクシュアリティを有する人々を排除してきたかのごとく印象操作することによって、「LGBT」の性的アイデンティティへの「クィア」による干渉・侵害を自己正当化する、巧妙な詭弁術を駆使するセクシスト(性差別主義者)の団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、その政治的・思想的基盤となるクィア理論およびクィア運動の啓蒙・推進にあたり、自らが敵視・蔑視する「LGBT」の中でも、とくに社会的・政治的立場の弱い「L=レズビアン(女性同性愛者)」に矛先を向ける、卑劣なセクシスト(性差別主義者)の団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、レズビアン」の置かれている社会的・政治的状況の特殊性に何ら配慮することなく、《レズビアン差別》の問題を「クィア運動」のたんなる一環として埋没・後退させることで、《レズビアン差別》の現実的解決を不可能とする、「レズビアン」に対する言わば“政治的搾取”を行う権力者の団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、「レズビアン」のアイデンティティ形成を「枠」と決めつけた上で、その「枠」を「こわしてみませんか?」と要求・期待することによりレズビアン」の性的主体性を否定・侵害する、すなわち「レズビアン」に対するパターナリズム(権力的介入・干渉)を行使する権力者の団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、「レズビアン」の置かれている社会的・政治的状況の差別性を批判・追及することなく、「レズビアン」のアイデンティティ形成を「枠」と決めつけた上で、その「枠」を「こわしてみませんか?」と要求・期待することにより、レズビアン」の側に社会の《レズビアン差別》の構造への適応・同化を促す一方、社会の《レズビアン差別》の構造を追認・温存する、姑息なセクシスト(性差別主義者)の団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、「レズビアン」のアイデンティティ形成を「枠」と決めつけた上で、その「枠」を「こわしてみませんか?」と要求・期待するパターナリズム(権力的干渉・介入)を行使すると同時に、今期イベントのテーマとして《枠をこわしてワクワクする秋》とのスローガンを掲げることにより、イベントの開催自体を通して《レズビアン差別》を煽動・行使するセクシスト(性差別主義者)の団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、「レズビアン」のアイデンティティ形成を「枠」と決めつけた上で、今期イベントのテーマとして掲げる《枠をこわしてワクワクする秋》とのスローガンの下に自らが選出した上映作品を、個々の作品のテーマとは別にイベントのテーマと連動させることにより、本来であれば《レズビアン差別》に与しないはずの上映作品についても《レズビアン差別》の機能性を付加するセクシスト(性差別主義者)の団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、「レズビアン」のアイデンティティ形成およびその表明について、クィア運動の啓蒙・推進を妨害する“クィア差別”と位置づけ、あまつさえ明確な差別的言説と並列化・同一視することで、レズビアン」をセクシスト(性差別主義者)に仕立て上げ、かつ《レズビアン差別》を相対化・正当化する、まさしくセクシスト(性差別主義者)そのものの団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、〈女性〉であるがゆえに《女性を愛すること》に加えて《男性を愛さないこと》を理由とした「差別」を受けている「レズビアン」に対し、その社会的・政治的立場の弱さに付け込んで《男性ないし非女性を愛すること》を要求・期待する、まるで男性異性愛者向けの卑俗なポルノグラフィと変わらない心根を有する「変態」のセクシスト(性差別主義者)の団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、いわゆる「セクシュアル・マイノリティ」を題材にした映画を上映すると共に、冊子などの配布物を通してその理解を促すという社会的・政治的意義を対外的に自己アピールする行為によって、自ら「レズビアン」に対して行使するヘイトスピーチ(差別煽動表現)を正当化すると同時に、その告発・批判の一切を無効化する、狡猾なセクシスト(性差別主義者)の集団である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、その宣伝にあたってレズビアン当事者のコミュニティを都合良く利用しておきながら、問題の差別的な宣言文において「レズビアン」の社会的イメージを露悪的に失墜させることで《レズビアン差別》を煽動・行使する、不誠実なセクシスト(性差別主義者)の団体である。

http://kansai-qff.org/
当映画祭のパンフレットに広告を掲載していただいたお店(ウーマンオンリーバー・レズビアンバー)には、店ごとに女性と見なす判断基準があり、入店をお断りされる場合があります。

・「関西クィア映画祭」とは、体面上は「反差別」を標榜しながらも、そのじつ差別問題を議論する上での基礎知識であるヘイトスピーチ(差別煽動表現)」の定義すら理解できず、あまつさえ自らがそれを「レズビアン」に対して無自覚の内に行使していることにも気がつかない(認めようともしない)、反差別団体としての資質を著しく欠く団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、そうした「レズビアン」へのヘイトスピーチ(差別煽動表現)について、外部からの指摘・批判を受けながらも、自分たちの勝手な都合を優先し、ヘイトスピーチを放置する無責任きわまりない団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、そうした「レズビアン」へのヘイトスピーチ(差別煽動表現)に対する外部からの指摘・批判について対応する上で、組織の代表者・責任者の名前すら明らかにせず、「実行委員」と「外部スタッフ」なる身内の組織系統の中で互いに責任をなすりつけあう閉鎖的な団体である。
 
・「関西クィア映画祭」とは、そうした「レズビアン」へのヘイトスピーチ(差別煽動表現)に対する外部からの指摘・批判について対応する上で、組織内部における連絡系統すらろくに整っていない、学生の映画上映サークル以下の無能な団体である。

実行委員 / スタッフ:
ナレ / maa. / マイ / こころ / とも / よりー / Sharon / はしも / みかかね / じゅんぺい / 斬 / かどちか / 敬 / ともかちゃん / ささの まき / Thomas Brook / ぽんぽんまる / Kaori Dohgase / 中元文月 / ちぇがる・やか / ジョージ☆フサコ / 岸茉利 / 冨川 瞳(とみー) / 福永 玄弥(げんや) / VECTOR MAINLANDER(画数順)

「関西クィア映画祭2014」開催終了に伴い、いったん抗議活動を総括しましたが、実行委員会からの回答が得られましたら、当ブログ内にて引き続きご報告いたします。