百錬ノ鐵

百合魔王オッシー(@herfinalchapter)の公式ブログです。

「レズビアン」は「バイセクシュアル」よりも“優遇”されているのか?

(2025年11月17日 加筆修正)

一般に商業メディアで取り上げられる機会の少ない、マイノリティの生の声が聞けるというのは個人ブログやSNSの利点といえるが。

しかし書き手がアマチュアである場合は、文章の拙さを差し引くとして、その思考も論理も未整理なためか、中には首を傾げたくなる記述が散見するのも事実である。

いわせてカフェ「LGBTってなに?」|長島可純Official Blog

 https://ameblo.jp/amour02/entry-12346959081.html 

当人はノンセクシュアルバイセクシュアルでFtXであるという(※以下、強調は引用者)。

・「好き」という言葉を使うのが怖かった

 当事者であるということを公表していると、SNS上で「好き」と書くだけで恋愛に結びつけられ、詮索されることがあります。

 以前私は、ある女性候補者のことを応援していました。その人のことは、候補者として、とても尊敬していたし大好きでした。あるとき、ツーショットをSNSに投稿し、そこにまた会えてうれしかったことと共に、「大好き」と書きました。それに対して、「両思いなのか」というコメントがありました。もちろん私は否定しました。すると今度は「同性愛じゃなくて安心しました」と。私がこのとき真っ先に思ったのは、候補者に迷惑をかけてしまったのではないか、安易な発言によって足を引っ張るようなことをしてしまったのではないか、ということでした。それ以来ずっと、「好き」という言葉を意識的に遠ざけてきました。使うときはその前に長い前置き…友達として、憧れです、尊敬として、変な意味じゃなく…そうでもしなければ、不安でたまらなかったのです。

ここまでは典型的なホモフォビア(女性の場合はレズボフォビア)の事例であり、真に迫るものがあるけれど、その後が解せない。

 でも、友達同士であったとしても、「好き」という言葉を使う人たちは私の周りにもたくさん居るし、私自身も言われることがあります。だけど、それに対して「レズなの?」なんていう人はそんなにいないと思うんです。ゼロではないと思うけど。なぜ、バイセクシュアルです、と言うだけで、なんでも恋愛に置き換えられてしまうんだろう。それは今でも悩み、考えていることです。

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そも世間(つまり多くの非同性愛者)の認識において「バイセクシュアル」は、

独立したセクシュアリティというより、むしろ「レズビアン」の中に「バイセクシュアル女性」もいるという位置づけなのだから(むろんそのような認識自体が異性愛中心主義に根差す《同性愛者差別》の産物であることは言うまでもない)、

一般にこうした文脈(女性の女性に対する「好き」の表明)で矢面に立たされるのは、むしろ「レズビアン(レズ)」の方であろう。 

ところが、このようにしてバイセクシュアル当事者の中には、なぜかバイセクシュアルがレズビアンやゲイよりも冷遇されているといった話をやたらと強調したがる人がいる。 

なぜ私たちのフェミニズムは様々なアイデンティティの交差(intersection)を前提としたものでなければならないのか(そしてそれを実践する3つの方法)|feminism matters
http://yk264.hatenablog.com/entry/2016/01/17/152618

《英語(とたまに韓国語)のクィアフェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。》と銘打たれたブログにある上掲記事(※現在は非公開)もその一例だ。

また、バイセクシュアルの女性は、他の女性よりも性暴力を経験する可能性がずっと高いこともわかっています。

(原文:We also find that bisexual women are far more likely to experience sexual violence than other women.)

「他の女性(other women)」というからには、そこには「異性愛者女性」のみならず「レズビアン女性」や「トランス女性」も含まれるのであろう。

しかし「レズビアン女性」や「トランス女性」が、「バイセクシュアルの女性」よりも《性暴力を経験する可能性》が“ずっと低い”というのであれば、その論拠となるデータを示すべきであるが、著者はただ「わかっている(We also find)」と無責任に断言するだけだ。

そしてそのようなこじれた被害者意識が、例の「関西クィア映画祭」による「レズビアン女性」へのヘイトスピーチの根底にもどっしりと胡坐をかいていることは言うまでもない。

「関西クィア映画祭2014」問題 まとめ
http://d.hatena.ne.jp/herfinalchapter/30141220/p1

もとよりレズビアンバイセクシュアル女性よりも“優遇”されるといった話は、あくまでもレズビアンのコミュニティにおいては、そのようなこともありうるといったていどの話である。

そうした特殊な状況下における事例を一般化するのは、痴漢対策の女性専用車両について《男性差別》と騒ぎ立てているミソジニストの屁理屈と何も変わらない。

しかし、そこから一歩外に出れば、バイセクシュアルの多くは「異性愛者」として生きることに順応し、自らが「マイノリティ」との認識をもたないのが実情だ。

じじつバイセクシュアルは《異性を愛する可能性》に開かれているという点で、レズビアン/ゲイが《異性を愛さないこと》について受ける迫害・糾弾を免れるという特権性を享受している。

一方でレズビアン/ゲイは、けっして《異性を愛する可能性》に“閉ざされている”のではなく、むしろ常に“開かれる”ことを要求・期待する社会的圧力に晒されている。

LGBTの中でバイセクシュアルが周縁化されているといった話はしばしば目にするけれど、

そも「マイノリティ」であるとの認識がないバイセクシュアルは、その多くがLGBT運動に参加する動機や必然性をもたない。だからこそ、LGBTコミュニティの中のバイセクシュアルは相対的にマイノリティになってしまうという逆説も発生しているのだが。

さらに言えばバイセクシュアル」であっても〈男性〉と〈女性〉とで、やはり社会的・政治的力関係の格差がある。

ネット上でオープンにしているレズビアンは、しばしば男性から実際の行為を見学させてほしいとか自分も混ぜてほしいといったメールを送りつけられるというセクシュアル・ハラスメントに遭うが、これについてはバイセクシュアル女性も同様であり、実質的に両者は似たような扱いをされていると言っていい。

すなわちレズビアンは、その非異性指向(男性を愛さないこと)を“治療”してやるという名目で異性愛(男性とのSEX)を要求・期待される傾向にあるが、

バイセクシュアル女性の場合は、まさに男性を愛することができるという理由で、やはり異性愛(男性とのSEX)を要求・期待されるのだ。

そうしたセクシュアル・ハラスメントの事例に限定して考えれば、レズビアン女性」と「バイセクシュアル女性」のどちらが“優遇”されているかを議論することは、たんにハラスメント被害の告発を無効化すること以外に何の意味もないだろう。

しかし言い換えるならバイセクシュアル女性」に対する「差別」は、じつのところその両性指向(ないしは性的指向の可変性・流動性)について向けられる事柄ではなく、やはり《レズビアン差別》の延長線上に位置づけられるのである。

いずれにせよ、間違っても「レズビアン女性」が「バイセクシュアル女性」より“優遇”されているなどという倒錯した結論を導くことはできない。

ましてや、そこで《人が愛し合うことに性別は必要ない》《「性別」ではなく「人間」を愛するのだ》といった「バイセクシズム(両性愛至上主義)」に陥るなら(件のブログの著者たちがそのような物言いをしているわけではない。念の為)、

けっきょくはレズビアン(非異性愛者)」に対して《異性(男性)を愛する可能性》に“開かれる”ことを要求・期待する、まさしく形を変えた「ヘテロセクシズム(異性愛至上主義)」以外の何物でもない