百錬ノ鐵

百合魔王オッシー(@herfinalchapter)の公式ブログです。

「ヘイトスピーチ」を宣伝に利用するアニメイト新宿店


『彼女とカメラと彼女の季節』店頭ポップ
くたばれ! 両想い!!
片想いの切なさが詰まっている作品です。男→女。女→女。女→…。読めば胸が痛くなる描写が満載。「百合」とか単純な分類で食わず嫌いとかもったいないです!!
百合好きスタッフの今、一番の推し作品です。とにかく読んでみてください。もうほんと胸アツすぎてつらい…
(2013年5月5日 アニメイト新宿店にて)
http://www.animate.co.jp/shop/shop_east/plus_shinjuku/

 【百合好きスタッフ】ならば知っているはずだ。百合作品の大半は――女性の主人公が、他の女性に抱く自らの「想い」を「友情」ではなく「恋愛」であると自己規定し、やがてその「想い」を相手に打ち明けることによって――「両想い」となって幕を閉じる。
 だがこの【百合好きスタッフ】に言わせれば、それらの百合作品のことごとくは、その存在すら“抹殺”されてしまう。「くたばれ!」という言葉はそういう意味だ。
 客商売の店員が、このような語彙を商品の宣伝に用いることで、誰に対していかなる利益をもたらすというのか。「百合コーナー」を設けている同店では「両想い」の百合作品も扱っている(当然だ。そうしなければ「コーナー」など成り立たない)。店員の個人的信条や嗜好は関係なく、客のニーズを優先しているというなら、なおさらこのような形で店員のエゴを押しつけがましく顕示すべきではない。
 そもそも「百合」を《単純》と決めつける根拠がわからないし、客が「百合」に対して《食わず嫌い》をしているという決めつけも失礼きわまりない。
 まして結末が「両想い」に終わるか「片想い」に終わるかで作品の価値が決まるはずがない。しかるに「くたばれ! 両想い!!」という主張は“ハッピー・エンド”に対置して“ビター・エンド”を提示する形骸化された二項対立の構図を、ただ倒置させただけであり、二項対立の有効性自体を疑うということをしていない。スティーブン・キングの『ミザリー』よろしく、自分の好みに合わない結末を拒絶する幼稚な精神性こそが批判に値するのではないか。
 とはいえ、レズビアンが〈異性愛者〉として生きることを強要されている「現実」を鑑みれば、作中の【少女に恋する少女】にそうした「現実」への迎合を無批判に要求する作品がレズビアン差別》の追認を意味することは自明だ。
 そこへきて「くたばれ! 両想い!!」とは、女同士の恋愛が成就することを許してはならないという、明確なレズボフォビア(レズビアン嫌悪)に根差した意思表示、すなわちヘイトスピーチに他ならない。メインストリームに対するオルタナティブとして一石を投じたつもりであろうが、実際は社会の被差別者に対して石を投げつけている。

  • もっとも当該作品である月子『彼女とカメラと彼女の季節』(講談社)については、同級生の美少女に恋い焦がれながらも報われない女性主人公の“弱み”に付け込み、あわよくばモノにしようと狙う男の「片想い」も描かれている。
  • だが仮に主人公が他の「男性」に恋をするなら(あるいは主人公がバイセクシュアルであるなら)この物語のシチュエーションは成立しない。その意味でも「くたばれ! 両想い!!」というヘイトスピーチ《男→女》を“平等に差別”するものとはなりえず、やはり《女→女》にしか適用しえないと言える。

 すなわち《単純な分類で食わず嫌いとかもったいないです!!》ということであれば、作品を「両想い」「片想い」《分類》することこそが排除のための《単純な分類》であり、かつ「差別」を目的とする《分類》である。
 そしてそのような展示を許容するアニメイトは、まさにレズビアン差別》を容認・推進する企業であるということか。