百錬ノ鐵

百合魔王オッシー(@herfinalchapter)の公式ブログです。

「関西クィア映画祭2014」からの回答(2)および公開質問状(3)

オッシーさま
 
お世話になります。関西クィア映画祭2014実行委員会の斬と申します。返答にお時間をいただき、ありがとうございます。
 
オッシーさんの今回のご質問・ご意見を受け、関西クィア映画祭2014実行委員会では、16日20:30ごろから、映画祭準備会場で使用している施設の退館時間の21:30過ぎまで、WEBサイトにある「今年の特色」の記述と、それに関する「枠をこわしてワクワクする秋」というテーマについて、改めて検討いたしました。
 
結果、「今年の特色」で表現されている意味と文脈も、「枠をこわしてワクワクする秋」の意味づけも、実行委員間で異なる見解が得られました。
 
このことを伝えることは、実行委員会でひとつの見解に集約してもっともらしい返答をする、ということが、オッシーさんのおっしゃるご質問・ご意見に対して誠実に答えられるものではなく、むしろ、検討された限りをお伝えすることが誠実であると実行委員間で共通して判断されたことによります。
 
ひとつの見解にまとめることこそ実行委員会に課せられた義務であるのかもしれませんが、実行委員会で検討された限りで異なる見解が得られたものの、実行委員間で明らかに共通されたのが、レズビアンを名乗る人々に対して批判をする意図がない」ということです。このことについて、それぞれの実行委員による具体的な理由や、認識の前提を説明する見解をまとめるには、たった1時間の会議では十分ではありませんでした。
 
そのため、今回の返答に引き続き、映画祭期間中、あるいは、映画祭開催後以降の返答をお待ちいただきたいと思っております。
 
限られた時間ながらも、オッシーさんの2通目のご質問のうち、明らかに実行委員間で共有された回答を、以下に記させていただきます。
 
1・当方はTwitter上の貴団体の公式アカウントにも数度に亘ってリプライを送っており、当然そちらの目にも留まっていることと思います。しかし公開の場ではまったく対応せず、なぜ非公開のダイレクト・メールという形でコソコソ送りつけるような真似をなさるのでしょうか?
 
【返答】
★オッシーさんへの返答について、関西クィア映画祭2014実行委員会は、迅速な対応をするために、メーリングリストを用いて検討いたしました。申し訳ないことに、映画祭のメール担当者が、メールによる作業が不可能な状態であったため、Twitterの担当者が返信するかたちとなりました。
 
しかし、Twitterの対応者は、リプライとDMの違いや性質について熟知しておらず、オッシーさんによるリプライのご意見の内容について、DMで返答してしまいました。そもそも、オッシーさんへの第一の返答の検討について、実行委員会はオッシーさんへどのようなかたちで返答するのかをきちんと共有されていませんでした。実行委員会で再確認した結果、オッシーさんのおっしゃるように、TwitterのDMによる返答は、非公開で不誠実な態度であったと認識しております。申し訳ありません。
 
今回、メールによる返答をとらせていただいております。Twitterのリプライによる返答では、140字のツイートをいくつも投稿することとなる、というコミュニケーションの特性としてのデメリットがあると認識しております。そして、メール担当者が作業可能な状態となりました。これらのため、メールによる返答を今回よりさせていただいております。
 
2・問題の差別的な宣言文は、どなたの文責によるものでしょうか? 独特の文体や語彙、主張の内容を鑑みて******氏によるものと思われますが、だとすればなぜ氏の名前の記載がないのでしょうか?
 
【返答】
★宣言文の文責は実行委員会全体のものとしています。しかし、宣言文が決定したのち実行委員に参加した者もおりますし、宣言文に対して実行委員会の決定に委任した者もおります。なお、今回の実行委員に******氏は含まれておりません。
 
3・問題の差別的な宣言文は、どなたの承認を得て、どういった経緯を経て公開されたのでしょうか? 実行委員は25名もの方が名を連ねていらっしゃいますが、その中から批判的な意見はいっさいなかったのでしょうか?
 
【返答】
★宣言文は、実行委員会の承認を得て、今回の関西クィア映画祭2014を広報するため、公開されました。オッシーさんのおっしゃる実行委員は当日スタッフを含んでおり、実行委員はこれまでの増減を含めて、現在実際には10名でございます。
 
今回の「枠をこわしてワクワクする秋」というテーマと、それを説明する文章は、十分な時間をかけて議論されました。結果として、批判的な意見以前に、意見は全て検討されたと認識しております。
 
しかし、冒頭の文章で申しましたように、宣言文決定以降に実行委員となった方や、決定を実行委員会に委任した者もおります。そのため、改めて検討した今、様々な意見が実行委員間で交わされている次第です。
 
4・問題の差別的な宣言文は、「レズビアン」を“クィア差別者”に仕立て上げることで《レズビアン差別》を相対化・正当化する、まさに「レズビアン」に対するヘイトスピーチと言っても過言ではありません。しかるに、それが貴サイト上から撤去されるまでの間は、それを目にした人々が「レズビアン」に対する差別意識を植え付けられることになりますが、その社会的・道義的責任についてどのようにお考えでしょうか?
 
【返答】
★こちらの質問に対して、冒頭の文章で申しましたとおり、実行委員間で共通された「レズビアンを名乗る人々に対して批判をする意図がない」ということの、それぞれの実行委員による具体的な理由や、認識の前提を説明する見解をまとめるには、時間を要する状況です。そのため、映画祭期間中、あるいは、映画祭開催後以降の返答とさせていただきたいと思っております。
 
5・当方の指摘について、本日の夜に実行委員の方々で議論なさるとのことですが、その「結論」は貴サイトにて公表なさいますでしょうか? それとも、今回DMを送ってこられたように内々で済ますおつもりでしょうか?
 
【返答】
★オッシーさんへ申しましたとおり、実行委員会で議論をおこないました。先ほどの4つめの質問に対する返答のとおり、未だに結論は出ないという状況ではありますが、まとまり次第、オッシーさんへメールにてご連絡いたしますとともに、映画祭のWEBサイトにて公開いたします。
 
前回、および、今回、今後の関西クィア映画祭2014実行委員会の全ての媒体における返答は、オッシーさんに限らず、どなたによっても、どのように公開していただいてもかまいません。
 
映画祭開催期間中に、会場にて、オッシーさんと関西クィア映画祭2014実行委員会による、TwitterのDMを含めたやりとりを、紙面にて公開いたします。
 
引き続きお手間をとらせて恐縮ではございますが、映画祭期間中、あるいは、映画祭開催後以降の返答をお待ちくださいませ。よろしくお願いいたします。
 
また、関西クィア映画祭2014は、10月17日(金)本日から19日(日)までの3日間、大阪のとよなか男女共同参画推進センターすてっぷにて開催いたしますので、ぜひご来場ください。
 
関西クィア映画祭2014実行委員会(文責:斬)

『実行委員 / スタッフ』
http://kansai-qff.org/#about

トランスジェンダーからゲイからXジェンダーへ。ポリアモリーでノナモリーだしあっちこっちとっかえひっかえ。でもそんなこれまでの全ての過去から現在,そして未来の自分をクィアで認めようよ!性は変わるものだもの。ペニスに穴が二つある副尿道持ち。通り名は「弐ツ穴の斬」。
Twitterアカウント:@ZAN__

オッシーです。饒舌なお答えだとは思いますが、残念ながら本件の本質的な部分の答えにはまったくなっておりませんので、重ねてご質問いたします。

・あなた(斬さん)は「関西クィア映画祭」実行委員会において、どのような立場にあるお方でしょうか? サイトを確認してもよくわからないのですが、今期映画祭の代表者はどなたになるのでしょうか?

・繰り返しになりますが、「レズビアンを名乗る人々に対して批判をする意図がない」ということであれば、なぜ「わたしはレズビアンだ」ということが「世の中には男と女しかいない」「男は性欲をコントロールできない」「性を売るなんてよくない」「愛する人は1人にしぼるべきだ」などの明確な性差別思想と同列に置かれているのでしょうか?

・そしてこれも繰り返しとなりますが、「世の中には男と女しかいない」「男は性欲をコントロールできない」「性を売るなんてよくない」「愛する人は1人にしぼるべきだ」などの明確な性差別思想を並べ立てた文脈において、なぜ、数ある人間の性のありようの中でも、特に「レズビアン」だけを例示として引き合いに出したのでしょうか?

・《「今年の特色」で表現されている意味と文脈も、「枠をこわしてワクワクする秋」の意味づけも、実行委員間で異なる見解が得られ》たということであれば、いったんは問題の宣言文をサイト上から削除(パンフレット等にも掲載されているのであればそれらも回収)するべきではありませんか?

・「レズビアンを名乗る人々に対して批判をする意図がない」としても、「レズビアン」のアイデンティティを「枠」と規定した上で、それを「こわしてみませんか?」と要求(仮にそれが期待や提案といった“ゆるい”形であっても)することは、早い話がレズビアン当事者に対して「レズビアンをやめろ」、あるいは“現時点で”レズビアンをやめないまでも「将来的には、男性ないし非女性を愛する可能性に開かれるべきである」と干渉する行為ではありませんか?
 そしてそのような行為が、レズビアンに対する「パターナリズム」であり「ヘイトスピーチであるという認識はありますか?

・問題の差別的な宣言文を書かれた人物は、当方からの指摘についてどのように捉えているのでしょうか? また当方からの指摘を受けた上で、当人としては、なおも撤回する意思はないのでしょうか?

・「わたしはレズビアンだ」との文言が、「世の中には男と女しかいない」「男は性欲をコントロールできない」「性を売るなんてよくない」「愛する人は1人にしぼるべきだ」などの差別的言辞と同列に扱われているのを見て、他ならぬ【あなた(斬さん)】ご自身は、どのように感じられましたか?

・「関西クィア映画祭」は、「LGBT」を「クィア」と敵対する、あるいは「クィア運動」を妨げる存在として認識しているということでしょうか?

・問題の差別的な宣言文の執筆者は、「LGBT」を「クィア」と敵対する、あるいは「クィア運動」を妨げる存在として認識しているということでしょうか?

映画祭開催期間を過ぎた後に、宣言文を撤回ないし修正したところで、誰も読まないと思います。その上で、レズビアン当事者、および宣言文を通して「レズビアン」への差別意識を植え付けられた人々に対しての社会的・道義的責任を、貴団体はどのように取るおつもりでしょうか?

・「関西クィア映画祭」は、宣言文で述べられている「クィア理論」の政治的イデオロギーを“啓蒙”することを目的としているのでしょうか?

・それにあたってクィア理論」の政治的イデオロギーを裏打ちする作品を意図的にセレクトしているということでしょうか?