百錬ノ鐵

百合魔王オッシー(@herfinalchapter)の公式ブログです。

「腐女子」を“異常視”するSF作家・山本弘は本当に「腐女子」の理解者か?

(2021年1月11日 タイトル変更/加筆修正)

  

山本弘の『BIS ビブリオバトル部』という小説については書店で手に取った際、冒頭からメインキャラクターの男子高校生がヒロインについて「俺は巨乳がタイプだから、こいつみたいな貧乳は好みじゃない(意訳)」といったミソジニー全開の発言をしていて、うんざりして棚に戻した記憶がある。ビブリオバトルの楽しさをラノベを通して伝えたいという意図であるなら、悪役でもない登場人物をなぜこのように造形する必要があったのか。男性読者の共感が得られると判断したうえでのことなら、女性読者を排除しているし、男性読者を舐めきっている。

そのようなミソジニーと表裏一体にあるのがホモフォビアであり、両者が結びついたのが「腐女子バッシング(BLバッシング)」である。

【僕の文章を勝手に誤解して、腹を立ててた人】とは、上掲のリンク先にある紹介記事のコメント欄で、同作品に登場する「腐女子」のキャラクター【ミーナ】の扱いを批判した人物のことである。引用しよう。

(前略)ミーナのBL好きが作中で「そもそも腐女子という概念自体、正しい女子の姿からはずれてるように思うんですが」だの「女性が男色に興味があるということ自体、すでに心のバランスが崩れているように思うのだが」だのと酷い評価を受けていますが、21世紀の現在、先進諸国の精神医学会は同性愛を「性的倒錯ではない」つまり“健全でノーマルな”愛の形としており、そのように愛し合う関係の男性たちを(あるいは「あの人とあの人が恋人同士だったら」という空想を)「素敵だ」「いとおしい」と感じる(つまり萌える)ことがそんな異常なことだと罵倒する権利は誰にもないと思います。
 最近よくテレビ番組などでも「約20人に1人がLGBT」と紹介されていますよね? つまり、ランダムに男性を100人を集めたらその内5人くらいゲイでもまったく何の不思議もない訳です。「ランダムに」を「山本さんの男友達や仕事でお世話になっている」とか「ビブリオバトル好き中高生の」に置き換えても同じですから、山本さんが「SFって面白いんだよ」「差別はよくないよ」「ニセ科学に騙されないで」と誰かに伝えたい時、その「誰か」がLGBTやアライ(支援者)である可能性は常に意識していただきたいです。
 作中のセリフや地の文でミーナのBL好きが否定されるのを読むたび、わたしは我が身のことのようにつらいです。
Posted by ヨネマサカシラ at 2016年02月09日 07:42

 

 先ほどのわたしのコメントについて、一点どうしても補足説明というかお詫びしておきたい箇所があったので、すみませんが連続コメントさせてください。
 「ランダムに100人の男性を集めたら~」のくだりですが、元々この段落はその前の、同性愛は健全でノーマルな愛の形だから男性同性愛に萌える腐女子も異常呼ばわりされる理由はない、という段落に入れようと思っていたのを、「100人中5人いるからノーマルだ、という理屈では、100億人に1人しかいないならアブノーマルだ、という話になってしまうから、この文章は別のところにつなげよう」とその次の段落に移した時、腐女子の萌えの対象について語っていたからゲイに限定していたのを、うっかりLGBT全般の話に直し忘れてああなりました。ゲイ以外のLGBTの皆さま、排斥するような形になってしまいたいへん申し訳ありません。
Posted by ヨネマサカシラ at 2016年02月09日 18:27

なんだか無駄に情緒的な文章で説得力に乏しいけれど、それはさておきBLおよび腐女子バッシングの根底に、ホモフォビアが存在することは事実である。なぜならBLについて指摘される「問題」は、ことごとく男女物にも当てはまる内容であり、それにもかかわらずBLだけをあげつらうのは、けっきょくのところBLのテーマである「同性愛」自体が《異常》であるという前提に立脚してるからだ(むろんこれは「百合バッシング」にも当てはまる)。

現実の同性愛とファンタジーのBLは違うのだ、といった物言いも目にする。しかし現実の同性愛とファンタジーのBLが同じなのではなく、現実の同性愛を否定するレトリックが、そのままフィクションのBLを否定するレトリックとして援用されているというのが実情である。ようは現実の同性愛を嫌悪する人間が、フィクションの同性愛の表現も同様に嫌悪しているだけのことであり、ただそれを愚直に表明したらたんなるホモフォビアの差別主義者であることがバレてしまうので、その代わりにBLを槍玉に上げているにすぎない。

一方で、ファンタジーのBLが現実の同性愛者を“性的消費”しているといった言い分もあるが、それこそ現実とファンタジーを混同した思考であろう。だいたいBLがファンタジーであるなら現実の同性愛者に対する“性的消費”にもなりようがなく、両者は完全に矛盾しているのだけれど、なぜか同じ口で主張されるのだから、やはり初めに否定ありきのもっともらしい難癖でしかない。

さて、これに対する山本自身の、これまた説得力ゼロの反論が以下である(※強調は引用者)。

 

(前略)あなたは僕の小説『アイの物語』をお読みでしょうか?
 あの小説の大きなテーマは、「異質なものは理解できなくてもいい、許容すればいい」というものでした。このテーマは『BISビブリオバトル部』でも貫かれています。
 部長である聡のモットーは、「自分の嗜好を他人に押しつけてはならない」というものです。

>「理解できないのは分かる。僕だって正直、BLなんて理解できない。でも、否定もしたくない。やっちゃいけない」

>「だからさ、このBIS、特にBB部は、安らげる場なんだよ。人と違ってて何が悪い。変わった趣味を持ってるからって、それがどうした。ユニークなのってサイコー!――そう胸を張って主張できる。それどころか理解者を増やせる」

 それは空や武人も同じです。
「ミーナのBL好きが否定されるのを読むたび、わたしは我が身のことのようにつらいです」? いや、2人ともミーナの趣味を理解できず、変だと思っているだけで、否定はしていませんよ。
「異常なことだと罵倒する権利は誰にもない」? 確かにその通りです。しかし、2人がミーナの趣味を「異常なことだと罵倒」している場面など、いったいどこにあるのですか? 「異常」なんて言葉は使っていませんし、ましてや「罵倒」などしていませんよね?
 つまりあなたは、作中に存在しない場面が「ある」と勝手に誤解しているだけです。

 また、あなたの主張がおかしいのは、かんじんのミーナの発言を無視していることです。

>「はあ、今どき同性愛者に対して、こんな感覚抱いてる若者がいるんだ」蟹江のツイートを読みながら、ミーナはあきれていた。「生きた化石だなあ」

 こういう台詞を読んで、僕がBLや同性愛に対して偏見を抱いていると思う人はいないはずです。あなたはこうした箇所を無視し、さらに空や武人の台詞を「異常なことだと罵倒」と歪曲することで、この小説を読んだことのない人に間違った印象を植えつけようとしています。
 そういうやり方ってアンフェアだと思いませんか?

 もうひとつ、いちばん重要なことを。
 僕の娘は現在19歳、大学生です。立派な腐女子です。
 今は『刀剣乱舞』の燭台切光忠がお気に入りで、イベントでコスプレもしていますし、グッズも集めています。もちろんBL同人誌も買っています。
 僕も妻も、娘の趣味を暖かく見守っています。妻など、コスプレ用の衣装を作ってやったりしています。
 作中のミーナの言動は、娘のそれがヒントになっている部分があります。

 そんな僕が腐女子を「異常呼ばわり」していると?
 つまりあなたは、僕が娘を異常呼ばわりしているとおっしゃっていることになりますよね?
 それは僕に対する重大な侮辱なんですが。

 もちろん、差別や偏見と戦うのは正しいことです。
 でも、誰かの著作の内容を誤読して文句をつけたり、その誤解を元に作者を差別主義者であるかのように決めつけるのは、明らかに間違っています。
Posted by 山本弘 at 2016年02月10日 20:13

山本が引用した「はあ、今どき同性愛者に対して、こんな感覚抱いてる若者がいるんだ」「生きた化石だなあ」という台詞は、あくまでも「腐女子」である【ミーナ】の言葉であって、作者である自身を仮託しているであろう男性キャラクターによる発言ではない。よって山本自身がBLや同性愛に対して偏見を抱いていないことの証明にはまったくならない。

また山本に言わせれば「異常」という語彙を直接的に“使って”さえいなければ「異常なことだと罵倒」「異常呼ばわり」したことにならないらしい。

“罵倒”という言い方が不本意なら“侮辱”でもいいと思うが「そもそも腐女子という概念自体、正しい女子の姿からはずれてるように思うんですが」「女性が男色に興味があるということ自体、すでに心のバランスが崩れているように思うのだが」といったセリフが腐女子」を“異常視”するものでなくて、いったいなんなのか。

思えば十年以上前、個人サイト上で掲示板を開いていた頃から、山本は議論で劣勢になると、このようにしょうもない言葉尻をいちいち捉えて相手を煙に巻く癖があるので(それにしても山本に追従する「信者」のネチョネチョとした気持ち悪さも相変わらずである)、具体的に指摘するなら《正しい女子の姿からはずれてる》《心のバランスが崩れている》という箇所が《女性が男色に興味がある》というセクシュアリティを“異常視”するものである。

あるいは山本にいわせれば「異常」という語彙を「変」に置き換えたなら「異常呼ばわり」することにならないらしい。そのくせ「理解できないのは分かる。僕だって正直、BLなんて理解できない。でも、否定もしたくない。やっちゃいけない」とこの期に及んで善人面をする。

「否定する」ということが、どういうことを想定しているのか、それこそ直接的に「異常」という語彙を用いて“罵倒”することだけを想定しているのか。

いずれにしても山本(が自身を仮託するキャラクターたち)が《女性が男色に興味がある》というセクシュアリティを“否定的”にとらえ、なおかつそのような「偏見」を疑うこともなければ改めようともしない精神性の持ち主であることは事実のようである。

そのような「上から目線」の態度をもって「腐女子」を“許容”しているなどと言われても、そも“許容”される以前に「腐女子」は存在しているのであり、まずはその存在を(余計な価値判断を挟まずに)ありのままに是認するべきではないのか。ましてや自己の卑小な価値基準に照らし合わせて“理解”できないからといって、一方的に“侮辱”する行為が、それこそ“許容”されるべきでもない。

そもそも男性である山本が「正しい女子の姿」なる“概念”を一方的に規定すること自体がミソジニー以外の何物でもない。

あと興味深いのは、山本が自身の「腐女子」であるという実子を引き合いに出して「偏見」のなさを自己アピールしていること。元よりこれは《I have black friends(私には黒人の友達がいる)》といって典型的な《差別主義者の論理》そのものだ。この「black friends」にはあらゆる被差別的属性が代入可能であることは言うまでもない。

腐女子」に対して「差別」という概念が適用されうるかという論点はさておくとして、「腐女子バッシング」の根底に《女性差別》と《同性愛者差別》が存在することはすでに述べたとおりである。そして山本自身が「差別主義者」であるか否かはともかく、都合が悪くなると《差別主義者の論理》を用いて自己正当化を図る人物であることにも変わりはない。

なお山本弘ホモフォビアについては、かつて当ブログでも取り上げていた。かれこれ十年前の記事だが、差別問題に関する山本の基本姿勢が、この時点からまったくアップデートされていないことがわかる:

山本弘のおかしな「ロリコン擁護」

やはりホモフォビアを正当化する山本弘