百錬ノ鐵

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身体女性の性暴力被害を“完全に無視”する「トランス女性至上主義者」れい(rayfactory)の「暴論」

今月3日、東京五輪パラリンピック組織委員会会長の森喜朗・元内閣総理大臣がJOC(日本オリンピック委員会)臨時評議員会で行った「女性がたくさん入っている理事会は(会議に)時間がかかる」「(そこをいくと)私どもの組織委員会の女性(の会員たち)は“わきまえて”いる」という女性蔑視発言が、国内外から批判を受けている。

www.huffingtonpost.jp

もっとも「女性」といっても、こうした文脈において「トランス女性」の存在は想定・考慮すらされていないのだろう。そうした中で「トランス女性」が「当事者」として声を上げることは有意義と思われる。

しかし一方で、こうした世間の耳目を集める議論を自らの偏狭な政治的イデオロギートランスジェンダリズム)の喧伝に利用しようとする、卑しい「活動家(トランス主義者)」が目につくのも事実だ。

 

 

 

……開いた口が塞がらない。右翼の森喜朗とは思想の左右を反転させただけで、その“差別性(女性蔑視)”において勝るとも劣らない「暴論」ではないか。

>シス男性中心に設計された社会においてシス女性は社会への参画、雇用機会等に制限はあっても、生存そのものは原則脅かされないでしょう。

そもそも《生存そのものは原則脅かされない》というのが意味不明だ。

「生存そのもの」とはいったい何を指すのか。たしかに法治国家において、身体女性というだけで文字通り“殺される”ことは稀であろう。殺害した後の死体を、素人が誰にも見つかることなく処理することは至難の業であるからだ(もっとも、それをいうなら「トランス女性」も同じだが)。

が、それより発覚のリスクの低い性犯罪――レイプや痴漢などの被害に遭う確率に関しては、身体女性が「シス男性」に較べて有意に高くなる傾向にあり、ここに《女性差別》の構造が見て取れる。

ようするに【れい】は、性暴力の問題について、被害者が文字通りに“殺されなければ”問題ではない(あるいは“大した”問題ではない)といっているだけである。これは身体女性の性暴力被害について、軽視するどころか“完全に無視”するものであり、まさしく「ミソジニー(女性蔑視)」以外の何物でもない。

一方でトランス女性も性暴力被害に遭いやすいとされているが、だからといって身体女性が性暴力被害(=生存の脅迫)から免れるということになるはずもない。にもかかわらず【れい】を始めとするトランス主義者たちは、トランス女性の性暴力被害を強調するにあたって、いちいち身体女性の性暴力被害を過小評価してみせるのだ。論理の飛躍もさることながら、じつのところ身体女性の立場を貶めることでトランス女性の“優位性”を誇示するという、形を変えた《女性差別の構造を再生産しているにすぎない。

>シス女性はシス男性中心の社会において、シス男性のように見える外見をホルモン接種で得なくてもいいし、手術をしたりしなくてもいいんで、全然違うと思いますよ。

これも輪をかけて意味不明だ。たとえ身体女性がホルモン接種や性別適合手術などの手段によって自らの「外見」を「シス男性」に“近づけた”としても「シス男性」自体に“なる”ことは不可能であるし、仮にそうしたところで今度は「トランス男性」として「差別」を受け、また性暴力被害(の高いリスク)に晒されるだけであろう。

つまり身体女性の多くがホルモン接種や性別適合手術を望まないのは、【れい】のいうようにそれらを《しなくてもいい=しなくても「生存そのもの」が脅かされない》ということではなく、したところで身体女性が「生存の脅迫」に晒されるリスクに変わりはないからである。あるいは、仮に「シス男性」に“なる”手段が発明されたとして、それによって身体女性が「生存の脅迫」から免れたとしても、身体女性に対する「差別」の構造は依然として維持・温存されるにすぎない。

それをいうなら【れい】は《身体女性であるという理由で生存を脅かされたことのない非身体女性だから身体女性の困難が見えない》のである。あげく「シスジェンダー特権」とかいう“意味不明”な暴論によって、身体女性を「シス男性」と同等の「マジョリティ」に仕立て上げるのだ(トランス主義者が礼賛する、噴飯モノの「シス特権リスト」なるものは こちら)。

これにも呆れた。なんと姑息な責任転嫁であろうか。そも《生存そのものは原則脅かされない》などと「生存」という語彙を持ち出すことで「女性」に対する性暴力の問題を《直接的な暴力によって殺されるかどうか》という論点に矮小化しだしたのは、他ならぬ【れい】自身の方である。

とはいえ、元よりトランスジェンダリズム(※男女間の生物学的差異を否定・否認し、当人の自己申告に基づく「性自認」だけで「性別」を決定しようという先鋭的・急進的な政治的イデオロギー。「セルフID」とも)」自体が、学者や政治家を巻き込んだ壮大な「ウソ」にすぎないのだから、こうした病的なレベルの「ウソつき」でなければ「トランスジェンダリズム」の信奉者(トランス主義者)になることはできない。

トランスジェンダリズム」を信奉する「病的なウソツキ」の事例は他にも:

yunishio「レズビアンがトランス女性との性行為に応じないのは男根恐怖症」←突っ込みを入れてみた結果 - Togetter 

そして考えも言葉も足りないのは【れい】の方である。生存への脅迫が「直接的な暴力」にかぎらないのは、位相こそ違えど身体女性についても言えること。ただ【れい】は、裏返しの「トランス女性至上主義」に陥っているから、そうした身体女性に対する性暴力被害の実態が見えない・見ようとしないだけだ。

そのような【れい】からすると「シス女性」が“女らしい”外見や身体構造によってレイプや痴漢の被害を受けることは「シス女性特権」ということになるのだろう。

ちなみに「妊娠・出産・中絶」を「シス女性」にとっての「特権」と位置づける考え方は、トランスジェンダリズムの信奉者に広く支持される思想である。

 

 

 

>妊娠出産中絶がシス女性の特権であることは間違いではないと思いますよ。トランス女性には絶対に出来ない事なので。

この理屈に倣うなら、ペニスを勃起させてザーメンを射精することは《トランス女性の特権》という解釈“間違いない”であろう。身体女性には「絶対に出来ない事なので。

それはさておきトランス主義者は、表向き「シス女性」の性暴力被害を軽視・無視しているわけではない(=性被害者にそれを言うのはダメ)と言い訳するけれど、そも「妊娠・出産・中絶」を「シス女性特権」としてあげつらう言説自体が、まさしく身体女性に対する「ヘイトスピーチに他ならないのだから、そうした「女性蔑視」の思想が、必然して身体女性の性暴力被害の“無視”に帰結するのは自明の理だ。

そのようなトランスジェンダリズムの世界観(イデオロギー)の根底にあるのは《シス女性=マジョリティ/トランス女性=マイノリティ》という粗雑に単純化された二項対立の図式であり、【れい】を始めとするトランス主義者たちは、それをあたかも唯一不変の絶対真理であるかのごとくゴリ押しすることで自身の穴だらけの持論を強弁する。

しかし現実には、「シス女性(身体女性)」はトランス女性よりも「マジョリティ」なのではなく、ただトランス女性とは異なる「マイノリティ」でしかない。

あるいは「シス女性/トランス女性」が「女性」という意味では対等であるとしても、「シスジェンダートランスジェンダー」の関係性においては「シス女性」が「マジョリティ」なのだ、といった物言いも目にする。しかし、仮にトランス主義者のいう「シスジェンダー特権」なるものがこの世に存在したところで、それを享受するのは「シス男性」のみであり、身体女性はどうあっても「マイノリティ」にしかなりえないのが実情だ。

ましてやトランス女性と身体女性の間で、性被害の度合いや“痛み”に優劣をつけるなどという「性差別」が許されてはならない。言い換えるなら「トランスジェンダリズム」とはすなわち「トランス女性至上主義」であり、また同時に「シス女性」を「マジョリティ」に仕立て上げることで身体女性に対する性差別・性暴力を不可視化(=完全に無視)する、それこそが「性差別」以外の何物でもないのである。

もっとも、そうした「トランスジェンダリズム」のトンデモぶりはさておくとして、トランス女性が身体女性とは異なる深刻な困難に直面していることは事実であろうし、その問題について社会的認知を求めること自体は、べつに間違っていないはずだ。

しかし、だからといって【れい】のごとき「トランス女性至上主義者」が声高に唱える

「シス女性」がトランス女性よりも優遇されている!

「シス女性」はトランス女性の価値基準に合わせるべし!

「シス女性」はふかふかのソファーで人生イージーモード!

「シス女性」がレイプされて妊娠することは「特権」! うらやまけしからん!

……などという戯言(ざれごと)は、とても聞けたものではない。